劇的人生! 「おもしろい」を求めて幻空間を編集し続ける「まぼろし博覧会」館長・セーラちゃんってどんな人? 後編

劇的人生!

ライターの、おーちさんが「劇的!」と心揺さぶられてしまった人に会いに行くインタビューシリーズ、ゆるーく、ここに開幕です。

「まぼろし博覧会」館長・セーラちゃんってどんな人?
前編はこちらから。
まぼろし博覧館、2分間コマーシャルも登場。

 

「まぼろし博覧会」は終わらない。
だって現在も続いていて、人間がいなくなった先までも世界は終わらないから──そんなふうに永遠を語る、セーラちゃんの思いはどこまでも、庶民に寄り添い、当たり前にあった風景を展示し続ける。

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全部あるからメインカルチャー
朽ちていく姿すらも展示
それが在るがままだから

──以前、トークイベントで「サブカルの聖地」と言われているけれど、全部あるからむしろメインカルチャーだ、と話されていたのが印象的でした。

 サブカルと言われ出したのは80年代からで、今、サブカルと言うと90年代を指すことが多い印象があって、メインカルチャーになれないところが他の切り口を探してサブカルと名乗っていったように感じています。でも「まぼろし博覧会」にはサブではなく生活文化の全部があるんです。常に誰かしらが、どこかしらに共感や郷愁を感じる空間になっている。
 美術館や博物館は専門家によって取捨選択されていて、管理もされている。先日、女子高生の方が卒業制作を寄付してくれましたが「高校生」なんてメインカルチャーですよ。むしろ、例えば人間国宝が作ったもののほうが人の目に触れる機会が少ないわけですから、もしかしたら、そちらがサブカルチャーかもしれないわけで。
 たとえば歌舞伎や伝統芸能といったものは生活感も無く、一部の人が楽しんでいると思うんです。でも、「まぼろし博覧会」のお客さんの多くは庶民で、その方々に向けて縁があった品々を並べていった結果が、あの空間です。そもそも、文化的価値って誰が決めるんだろう……と思うんです。だって誰かに定義されたいわけでもないし、評価も関係ないんです。だから人の生活に関わることであればなんでも受け入れます。
 日本人の風景を全部観る、ことはできないけれど、ここにきたら在る、それでいい。金銭的な価値も関係ないし、保存を目的としてもいない。でも、だからこそ意味があるんです。経年劣化も丸ごと展示だと思っていて、自分が生きてきた社会と歩んできた歴史を重ねて楽しむ場所だから。

──すてきです! そのなかでは、昨年「岩下の新生姜」さんのコーナーが誕生しました。その経過もSNSで発信していておもしろく。

 あれは、うちのスタッフが『岩下の新生姜ミュージアム』の話をしていて、岩下食品・岩下和了社長のTwitterを見て、おもしろそうだな、連絡してみよう、となって。実際にお声をかけたら乗り気になってくださって、すぐにいろいろと送ってくれました。ただ、最初は「まぼろし博覧会」の写真を見て「屋外に置かれるんじゃないか」と心配していたみたいです。でも、人様から預かったものは大切にしますよ。

──預かったもの、と言えば、2020年に初めて「まぼろし博覧会」へ伺ったときに、鬼畜系・電波系ライターの草分け的存在の故・村崎百郎氏のコーナーがあり、セーラちゃんが「うち(『危ない1号』セーラちゃんの出版社であるデータハウス刊)で書いていた人だからね」と言っておられて、懐の深さに感じ入りました。

 あれは、ここを始めた当初、まだ展示空間が狭くて、そこに怪しくて怖い系のいろんなものを詰め込んでいたんです。そうしたら、村崎さんの連れ合いで漫画家の森園みるくさんから、うちのスタッフを通じて「大量に残したものがあるのですが」と相談があって「じゃあ、一緒に飾ったら?」となりました。今はSNSでいろんな方が「こんなものがあるよ」と教えてくれる時代なので、ほしいなと思ったらすぐに動きます。そこは好き嫌いではなくて、そんなことは関係ないんです。だいたい何を飾っていたとしても目に入って嫌なものは嫌だし、好きなものは好きだと思うし、ただただ庶民の暮らしや世相を並べようと思っているだけなので。
 ただ、違法なもの、危険なものは展示しません(笑)。あとは差別、ことに弱者に対する差別になるようなことはしません。あらゆる人に楽しんでほしいし、友だちになりたいので、なにかを除外することはしません。だから、お客さんは観たいものだけを観て、自由に感じてくれたらいいんです。

──改めて懐の深さに感じ入ります……だからこそ「秘宝館」のように失われていく、あるいは世間が隠しておこうとしてしまうものも丸ごと、当たり前に飾ってあることがすてきです。
 
 あれも、秘宝館をそのまま展示する気はなかったんです。だって一度は閉鎖されたものを、そのまま再現しても意味がないから。だけど文化のひとつとして、再現ではなくメモリアルとして展示しようと決めて、ジャーナリストの都築響一さんが撮った各地の秘宝館の写真も展示させていただきました。
 今、ストリップ劇場の展示も進めていて。実は今、全国で18ヶ所しかないんですよ。新たな許可がおりないので、国はもう無くしたいんでしょうね。だから今、廃業したところからいろいろと譲り受けてメモリアルな場所を作っています。

──そういった空間はどうやって生まれていくのでしょうか。

 最初はほかの展示で興味を持ってくれた人が個人的に京都の「DX東寺劇場」のポスターを貰ったから展示してほしいという申し入れがあって飾りました。
 そうやってひとつ展示があると惹かれるようにいろいろと持ってくる人がいてファンの方々の保存会みたいな人たちが今度は広島で閉館した「広島第一劇場」の5メートルほどもある看板を運び込んできて。でも、皆さん有志なので、仕事があるから完成がいつになるかはわからない。けど、たぶん創っているのが楽しいんだと思うんです。どんなものでも完成したら終わるんです。もうそれ以上は変わらないでしょ。

──だから「まぼろし博覧会」も完成しないんですね?
 
 だって、現実の世界も完成しないじゃないですか。
 
──確かに!!!
 
 全人類がいなくなっても完成しないから。だから、完成する、という概念がないんです。形あるものはいつか崩れるし、なにをもって完成とするか、と考えたら、終わりはないですよね。「まぼろし博覧会」だって今はいちばん、おもしろいからやってるだけで、先のことはわからないですし。
 飲食スペースも手間だから置かない。正直に言ってしまうと面倒くさいんですよね(笑)。別にすごいお金がほしい、ということでもないので、関わっている人が楽しくて、そこそこ暮らしていけたらいいな、と思っているんです。

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寅年につき虎コーナーも!

「まぼろし博覧会」は
他に名前のつけようがない
だから未だに説明が難しい
でも見てもらえたらわかるんです

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──ご自身が経営されている、1996年開館の「ねこの博物館」では実際の猫と遊べます。
 
 そちらはスタッフがすべてやってくれています。実は生きた猫は最後に入れたんです。もともと虎が好きでネコ科のいろんなもの、例えば絶滅種の剥製や骨格標本といったものをすべてを集めて展示しよう、と思い立って。最後の最後に「じゃあ、生きてる猫も入れようか」となりました。
 オープン当初は「こんな博物館は日本中探してもない」ということで国内はNHKや海外ではBBCから取材が来て、オープン直後はニュースにも取り上げてもらって。問い合わせが殺到して、最高で1日3900人ほどの来場者の記録をしました。駐車場が250台停められるんですが満車になって、周りの道も渋滞しちゃって。そのときは滞在時間を1分半とか決めて、観ていただきました。
 
──1分半! 上野動物園のパンダ並です……!!!
 
 たぶんネーミングでしょうね。「ねこの博物館」ってめちゃくちゃわかりやすいじゃないですか。世界でひとつだけですし。あのね、ネーミングがすべてですよ。本もそうです。いい原稿だったとしても、タイトルで内容が伝わらないと届かないな、とか。
 
──そういう意味で「まぼろし博覧会」は?
 
 迷いましたね。「ねこの博物館」と別に「怪しい少年少女博物館」もありますが、ここは「少年少女の昭和のおもちゃとかノスタルジックなものを収める」とコンセプトが決まっているんです。
 でも「まぼろし博覧会」は未だに説明が難しいですね。だけどほかに付けようがないんです。自分の頭のなかでは、時代に関係なく訪れる人、すべてが夢見るような場所にしたい……みたいなことはあるんですが、総称する言葉が見つからない。ただ、一度でも足を運んでくれた人には伝わるんですよ。だけど通りがかった人に説明する言葉が見つからない。でもしょうがないんです。つけようがないから。

──ただ、一歩、足を踏み入れたらわかるのではないかと……。
 
 その一歩、入ってもらうまでが難しいんです。なので周りの人が例えるままにしています。みんな好きな思いで例えてほしい。「入って5分で精神崩壊する」もそう。ただ、ここ何年かは「癒やされる」と言ってもらえることも多くて、その変化も展示だと思っています。ここ最近、平均して入場者数は年間3万人程度なので、これから先、増えたらいいなとは思います。だから、いつか、町……あるいは村とか、人が集まって暮らす場所になったらいいな、と思います。静岡県伊東市まぼろし町まぼろし村、とかね。想像すると楽しいでしょう?

──お話を伺えば伺うほど、一見閉鎖的? かと思いきや、とても開かれている場所です。
  
 みんな自分が主人公、という思いがあって。いろんな人がいていいんです。気力がある人、ない人、能力がある人、ない人、仕事ができる、できないとか、その物差しは誰が作るの? と思うんですよ。在る無しで測ることでもないし、そんな物差しはいらないし。ここに来る人はそんな価値観すら忘れてほしいと願うんです。
  
──だからこそ吸い寄せられるようにいろいろな方が集まってくるのではないでしょうか。実際に展示の寄付や譲渡以外でも「まぼろし博覧会」に集う人々は多く。その方々と「まぼろし博覧会音頭」を作ったり、昨年は「セーラちゃんPremium写真集」を発売しました。

 これは構想があって作りました。プロの方にメイクをしてもらって、プロのカメラマンに撮ってもらって、というのをやったらおもしろいかな、と思って。当たり前ですがやっぱりちがいますね。自分でメイクするときはものすごく簡単です。つけまつげもまつげの上に乗せるのは大変だけど、二重のまぶたの上に付けちゃうと簡単で、その間を塗りつぶすと、一回り目が大きくなるんです。キャラクターとしては可愛いを目指していますが写真集にはヘンなモノも入れました。

──いつ撮影されたのでしょう?
 
 去年の9月と今年の2月、7月の3回に分けて撮りました。衣装を決めてロケーションを選んで、一回の撮影で10着くらい着替えてました。ただ、2月は寒かったですねえ……最初の撮影で可愛い姿を撮ってもらって。さらに作るからには僕の好きな方向で、おもしろいもの、ヘンな写真を入れたくなって、スモークを炊いてもらって脱いでしまいました(笑)。
 あとはバーベルを持った写真で、肩を痛めてしまいまして。拾ってきたもので、おもしろいかな、と思って持ったら8キロあって、まだ痛いです。ニッカーボッカーを履いて上半身ハダカの写真は、ビキニの日焼け跡を見せたくて。でも、もうちょっと焼けたかったですね。途中に怖い感じのものも入れたくて、結局、3回、撮りました。

──可愛い表紙から始まって、だんだん「ん?」となっていく……という構成がすばらしいです。

 僕は企画と全体の構成だけは負けないんで(笑)。ただ、細かいところは任せてます。そういう意味では、まぼろし博覧会も同じですね。みんなが好きに飾って、みんなが好きに感じたらいいんです。
 
──通販が現金書留先払いなのもすてきです(詳しくはこちらへ)。セーラちゃんの写真集を求めて、生まれてはじめて現金書留封筒を買ってお金を送る、という体験をする人がいる、ということが愉快です。
 
 たぶん、びっくりしてるでしょうね。現金を送るのにこんなに手間がかかるんだ! って。でも、何十人かはいらっしゃいました。ただ、これで利益を出そうとかは思っていなくて、なにか楽しいことをしたい、という発信のひとつですよね。
 常にお気楽で能天気、楽しそうにしていたいと思っていて。あんまり真剣に必死にやっていると、ちょっと近寄りがたいでしょ。でも、脳天気な方が「声をかけてもいいかな」って思うだろうし。「楽しそう」って始まりだと思うんです。そこから、いつのまにか真剣になった、とか、でも飽きちゃった、でも、いいじゃないですか。

──今日、お話を伺い、その人となりに触れましたが、思慮深く懐が深く。そもそもが出版社や博物館を経営している時点で社会性があり、そこに破天荒さ、自由さ、発想の飛躍が乗っかっている……そのことに改めて感じ入りました。

 以前に手がけていた本の関係もあって危ない人だとか思われているみたいですが(笑)、そんなことはないんですよ。ただ、僕自身の「おもしろい」に従っているだけで。でも、それも常に変わっているので、これは「2021年12月のセーラちゃん」であり、この記事が公開されたときには、また、ちがっているかもしれません。

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2021年12月収録
写真/セーラちゃんTwitterより掲載
取材・文/おーちようこ

まぼろし博覧会
〒413-0231 伊東市富戸字梅木平1310-1
公式サイト https://maboroshi.pandora.nu/
公式Twitter @_fushiginamachi

セーラちゃんTwitter
@maboroshimusume

「セーラちゃんPremium写真集」(構成が実にすばらしいです!)、2022年カレンダー2種類、他各種グッズ絶賛発売中!!!
一部、通販も行っているので詳しくは公式サイトへ。

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