川本成って、いったいナニモノ? その正体と、今、自身が「旗を立てる」意味と未来について聞いてみた。 

1991年、16歳で役者を志し萩本欽一さん率いる「欽ちゃん劇団1期生に合格。1994年、お笑いコンビ「あさりど」を結成、ツッコミを担当し、往年の長寿番組『笑っていいとも!』9代目いいとも青年隊として出演。
2001年にはテレビアニメ『テニスの王子様』に河村隆役で声優としての活動も開始。
2007年にはクリエイティブユニット「時速246」を主宰。
俳優だけでなく、脚本、演出も手がけ、演劇のプロデュース公演をはじめトークライブ、イベントMCと多方面で活動を続けている。
幅広いフィールドを軽やかに泳ぐ、川本成が、52歳になる今年、会社を設立した。その名も株式会社時速246
しかして、それすらもエンタメで、クリエイティブな活動だと語る、これまでとこれからを聞いた。 

 

旗を立てることは
長けていると思ったから
集まる「場」を創りました。 

 

ーー会社設立、おめでとうございます。 

 いや、設立しましたね。
 ずっと時速246億(2011年、時速246から改名)としていろんなことをやってきました。一昨年、オーディションで出演者を募った『さよう、ならば、また、』や昨年の俳優や声優、歌手といった旧知の仲間がたくさん出演してくれた『お暇をどうぞ』を経て、ものすごく沢山の人との出会いがあったんですよ。
 もともと僕は、人を出会うことが好きで、ここ数年、オーディションやって、ワークショップやって、新たな場所に飛び込んでいって、今、やれることを全部とは言わないけれど、やりきったな……と感じたときに「さて、次は?」と思っちゃったんです。
 毎回、ゼロから立ち上げて、花火みたいに公演を打ち上げて「あー、愉しかった、またゼロから、おもしろいことを始めよう!」という繰り返しはとてもすてきな時間だけれど、それらをどこかに蓄積して育てていきたいなと思ったときに、そういったいろいろなものを集めておける「場」を創ろうと決めました。 

ーー確かに、いろいろな表現活動をされている方々が川本さんのもとに集まり、出会って、未知のナニカが生まれているように感じます。 

 そうだとうれしい。ただ、僕はみなさんのように特別なスキルがあるわけじゃないし、特化したことのエキスパートでもないけれど、ただね、誰からも見えるような旗を揚げることは長けてるんじゃないかと思うんです。 

ーーわかります。最初に声をあげるというか、みんな集まれー! と、なにか愉しいことを始めちゃう、という印象があります。 

 旗って目印として揚げるじゃないですか、だから活動の旗印となる場を考えたときに「会社」だと。それは決意表明でもあり、会社の社長ブログでも書きましたが、ずっとクリエイティブユニット「時速246億」としていろんなものをクリエイトしてきたわけで、その最新作が、この会社なんです。
 だから、起業しました、とは言うけれど、結局、これも僕のエンターティンメント活動のひとつなんです。 

ーー川本さんが声を演じるタカさん(河村隆)も応援旗を掲げています。 

 ほんとだ!(笑)なんだか象徴的ですね。みんなを応援したいし、下支えになりたいという思いもあるから、きっと今に続く縁があったのかもしれない。なによりも改めて振り返ってみると、声優の仕事に飛び込んだことも、今に続く大きなキッカケでしたから。 

ーそもそも、なぜ、その世界へ? 

「あさりど」で知ってくださっていたと思うんですが、なぜかオーディションに呼んでいただいて。経験はなかったけれど、声をかけていただいたからには応えたいと思って。そうしたら、選んでいただいて、何も知らないまま飛び込んで、めちゃくちゃ迷惑をかけました。 

ーースタジオ内で音を出してはいけないと聞きます。 

 そういうミスを全部、やりました(笑)。ボールペンをカチカチやっちゃったり、マイク前への入れ替わりでぶつかったりとか。そいったことをイチから現場で教わって。でも、すごくあたたかかったんです。音響監督の平光琢也さんがコントユニット『怪物ランド』で活動されていたこともあって、お笑い芸人である僕にとてもフランクに接してくださって、居場所を作ってくれていたんです。
 なので、演技の技術はまったく足りなかったけど、そこで臆せず場の空気を和ませるというか楽しくする、ということをものすごくがんばりました。あの時代に出会った方々とは今でもずっと仲良くしていただいています。桃城武役の小野坂昌也さんとは定期的に小野坂・成のコントドラゴン』というライブをやっていて先日はオープニングトークだけでまさかの時間40分しゃべってしまい……結果、毎回3時間を超えてしまっています(笑)。
 でもね、たぶん、僕、この仕事をやっていなかったら演劇をやっていなかったと思うんです。同年代で、海堂薫を役の喜安公平くんがケラさん(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)主宰の「ナイロン100℃」に所属していて、誘ってもらって初めて小劇場というものを観て、衝撃を受けました。東京にはこんなカルチャーがあるんだ! と。そこから「大人計画」、「劇団☆新感線」を観てしまい…… 

ーーすてきです! 

 王道でしょ(笑)。さらに、当時、NHK連続テレビ小説『こころ』(2003年)にコンビでちょっとだけ出ていたときに、「大人計画」の阿部サダヲさんと絡む役で、僕らを知っていてくださっていたりして。そんなふうにいろんな縁があって、ひとつ、ひとつ、積み重ねていった仕事が結果となってつながっていったんだなあ、と改めて感じます。 

ーーそれらを大切に自身の活動につなげているようにも感じます。その根底にあるものはなんでしょう。 

 やっぱり、欽ちゃんの哲学でしょうか。実は、僕がずっと付けている日記みたいな手帳があって、そこには思いついたことだけでなく、欽ちゃんから受け取ったいろんなことを書き記しているんです。もう何十冊にもなるんですが、ときどき、読み返すこともあるし、これはいつか、まとめて一冊の書籍にしたいと思っているんです。
 そのひとつを明かすと、「やっぱ逆、っていう、おもしろさがある」です。普通、こうなるだろうの逆を選んだほうがドラマになるじゃん、という考え方があって。ものつくりに於いても、人生に於いても、それが結構あって、会社を興すというのもその哲学からなんです。コロナ禍とか物価高とかあって「なんで今?」って思われるかもしれないけど、自分なりの、その先を考えて選びました。でも、そうして進むとまた新たな出会いが待っていたりして、なかなか楽しんでいます。 

ーー初めて川本さんにお話を伺ったのは、2022年の梅津瑞樹さん主演のライブストリーミング演劇『バック ステージ オン ファイヤー』です。ある劇場公演の裏側で起こっているドタバタを1台のカメラで追いながら、ノンストップで配信(!)する作品で、演劇的演出手法を駆使しつつ、映像作品でもあり、舞台上では実際に演じている人々もいて、カオスでした。 

 あれは、地元の石川県を盛り上げたいという思いを持った、映像演出家でディレクターの荒川ヒロキさんとの出会いから生まれました。荒川さんはご自身の仕事を通じて、ろいろな企画を考えていて、視野がとても広くて。やっていることは演劇だけど、必ずしも出口は演劇でなくてもいいよね、おもしろいことをやりたいよね、っていう考えで、そこですごく意気投合したんです。 

ーーこの作品の東京での稽古はいわゆる四角いスタジオでしたが、会場は小松市の市民会館で、まったくちがう空間なのに次々と登場する人々の位置やカメラの動線といった全体の演出を決めていて驚きました。 

 ああいった、演劇や映像、配信とかいろんなものが混在する現場ってね、ルールを作るといいんですよ。 

ーーそれが見える、というか、わかることがすごいです。 

  うーん、実は僕、最初は俳優志望だったんです。でも、それがお笑い芸人になって、バラエティ番組に出て、ドラマに出て、演劇も始めてとやっていくと、……バラエティでは「君らは芸人じゃないよね」と言われ、演技の場では「俳優じゃないよね」、歌を歌えば「でも歌手じゃないよね」と言われてしまう。その、ナニモノでもない状態が結構、しんどいときがあって。
 でもね、それがある年代で、くるっと逆転しはじめたんです。  

ーーどういうことでしょう? 

 ナニモノでもないことが、ジャンルをこえて、いろんなものが作れるということを自分でも、できるんじゃないかな? と思えたし、知ってもらえたからだと思うんです。でも、そこでもね反骨精神がでちゃう(笑)。
 たとえば舞台「よんでますよ、アザゼルさん。」2023年)では、漫画原作だから映像を使うんじゃないか、と思われていたかもしれないところを、人形劇団とみ座さんのお力を借りて、声優陣がセリフを言いながらキャラクター人形を操り演じる「2.5次元人形劇」にしちゃって、結局、アナログに戻ったんですよね。さらに場面転換もなるべく暗転じゃなくて、逆に全部見せちゃっていいんじゃない、とか。そういったことを思いつくのはやっぱりこれまで良くしていただいた師匠たちのおかげなんです。 

ーー師匠とは? 

 まず欽ちゃん。それから「マッスルミュージカル」などを手掛けた演出家・振付師の、故・中村龍史先生、Mr.マリックさんと、さらに小堺一機さんや関根勤さんといった方々です。みなさん、モノづくりのルールを作ることに長けていて、そのうえでとびきりすてきな世界を作っていて。そういうものをうんと浴びて、学ばせてもらったからこその今です。
 そのひとつを揚げると、関根さんは良かったことを探してものすごく褒めてくれるんです。それは、おだてるとか媚を売るとかではなく、純粋に褒める。悪いところを指摘するなんていくらでもできるじゃないですか。なによりも全員プロなんだから、その日の演技がどうダメだったかなんて誰よりも本人がわかっているから。そこをあれこれ言うのは野暮ですよ。でも、当たり前に良かったことはあまり誰も言わないから、そこをすくって言葉にしてくれる。
「今日のセリフのかみ方、タイミングが最高だったね「とか「声が大きくていいよね」とか。「そこを伸ばしていけば武器になるよ」というところを見つけて言ってくれるんです。実は明石家さんまさんもそうなんですが、見つけて褒める、ってとても美しいなと思ったし、すごく力になったから、僕も継いでいきたいんです。 

ーー美しさを引き継ぐ、ということに背筋が伸びます。 

 あとは品格です。小堺さん話す相手に向けて絶対に指を刺さないんです。そして、お客様へのお礼の姿勢、お辞儀の角度がものすごく綺麗。美しいです。とても小さいことだけれど、そういった品の良さも大切にしたくて。
 欽ちゃんが常々「なんでもかんでも受けりゃいい、ってものじゃないよ」と。「おもしろいとか、おもしろくない、の前に人として質が良くなければならないから、そこを意識しなさい」とすごい教えてくれたので、それを大切にしていきたいんです。 

ーー最後にこれからの展望を伺います。 

 会社の事務所をゆくゆくは鯛焼き屋にしたいんです。 

ーーえっ、その心は?  

 今、浅草の「漁師の店 FISHERMAN’S KITCHEN」という店で、僕個人のイベント「川本カフェ(仮)」や『あなたが立てばそこが劇場』と掲げた非劇場型演劇ProjectT.A.PTheater Anywhere Projectを演っているんですが、インバウンドをはじめ、人が多い場所なんです。そこで事務所を構えて、僕が自ら鯛焼きを焼きながら、みんなでわいわいといろんな企画を立てたくて。鯛焼きは劇場や稽古場への差し入れにもいいし、なによりアン(案)、が出るから(笑)。ジャンルを超えて、カテコライズできない、愉しいことをやりたいんです。
 さらに稽古場というかクリエイターオフィスを作りたいですね。T.A.Pに参加するなかには演出家がいて、ほかにもアニメ関係や経営者といった幅広い方々もいて、実は演劇団体のふりをしたクリエイティブチームなんですよ。今、店で演っているのも、ジャンルの垣根を超えて、場所すら超えて、どこでもできるし、なんでもできる、ということを未来に向けて実践しているんです。 

 

2026年6月都内にて収録 取材・文/おーちようこ 

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