改竄・熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン レビュー/おーちようこ 紅玉いづき
2020.4.12
本日、最善席がお届けするのは、本日、福岡大千穐楽を迎える予定だった『改竄・熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』のレビュー。ライターのおーちようこ、作家の紅玉いづきによる、熱い想いをここに。
一足先に、先週大阪大千秋楽を迎える予定だった、『改竄・熱海殺人事件 ザ・ロンゲストスプリング』のレビューもあわせて、ぜひ。
まさに「改竄」。令和初『熱海殺人事件』モンテカルロ・イリュージョンが多和田色に染まる春
文/おーちようこ 写真/オフィシャル
「改竄」とは悪意の有無を問わず、本来なされるべきではない時期に、本来なされるべきではない形式や内容などに変更されることを指す。
ではこれは、とびきり愉快でイカレた、けれど愛ある変更ではないか──始まったのは、ピンクのフリルがふんだんに使われたシャツにタイトなスーツで歌って踊る、多和田任益ショータイム!? 怒涛の歌声と台詞が客席に容赦なく刺さり、降り注ぐ。
きらびやかな灯り刺す舞台、真っ白なスモークのなかマイク片手に朗々と歌うは、東京・桜田門の警視庁、木村伝兵衛部長刑事(多和田任益)。そんな彼の部下として陰日向無く尽くし、この事件を最後に退職する水野朋子婦人警官(兒玉遥)。彼女は心の臓に病(やまい)を抱えていた──そこに訪れたのは「山形の死神」こと、速水健作刑事(菊池修司)。彼は、ロスアンゼルスオリンピックの棒高飛び選手だった兄・雄一郎を巡る事件を追っていた。その時効成立まで2時間、しかし、その前に熱海で起きた殺人事件の捜査を言い渡される。容疑者は大山金太郎(鳥越裕貴)。被害者は女子砲丸投げのオリンピック候補選手・山口アイ子とそのコーチ。熱海で起きた殺人事件を巡る、シチュエーションは同じだが、モンテカルロ・イリュージョンのモチーフとなるのは「オリンピック」という異色作。
昭和歌謡が次々と盛り込まれ、にぎやかに放たれる歌詞が熱唱する者たちの心情を、ときに楽しく笑いに紛れ、けれど切なく畳み掛ける。華やかな場面ではあるけれど、その実、とても哀しい言葉を吐いている……のかもしれない。歌に撹乱されながらも、確実に捜査は進み、徐々に4人の関係が浮き彫りに。なんと木村はかつて金メダルを期待されたオリンピック棒高飛びの正選手であり、同じく棒高飛び補欠選手だった大山の愚行のため、モスクワオリンピックに出場できなくなったという因縁が。そして、水野もまた、女子ハードル正選手として出場するはずだったことが明かされる。
己の置かれた立場とその苦しさ故に犯した罪を朗々と語る大山がすさまじい。たった独りで、べらぼうな量の長台詞を吐き、補欠選手の悲しみ、恨み、それでも正選手に万が一のことがあったなら、立派に日本の代表を努めようとする気概、しかし、総てを自身の手によって台無しにしてしまったことを激白する。そう、たった1枚のパンティーのために。「パンティーでパー!」
取材のため、脚本を読んでいたわたしは、この台詞が放たれた劇場の空気を想像し、とんでもなくスベってしまうのではないか……と、ほんの少しだけ不安だった……が、それはただの杞憂だった。むしろ、ようやく真実を語る機会を得た、その顔は、それはもう、どこまでも清々しく。だからこそ水野に問う。「あなたはこの捜査の間、自分を罵倒しても良かったはずだ……なのに、なぜ最後まで黙っているのだ」と。けれど、水野は凛として答える。
「親に、そう、躾けられましたから」
この一言がものすごく響いて、泣いてしまった。
そう言える人間であれ、と育てられた彼女が、己を律し立場をわきまえて、わきまえて、それでも大きくはみ出してしまうほどに木村を愛している、この一言で「水野朋子」という人が一瞬でわかる。見事だ。これぞ、つかこうへいが描く、人間の品性。あるいは物の道理であり、とてつもなく心惹かれる部分なのだ。
その木村を兄殺しの犯人と疑わない速水は、なんとしても時効成立前に大山の刑を確定しようとする。そこには刑事としての矜持があり、犯人として追いながらも木村という偉大な存在へと心惹かれていく葛藤を全身で熱演する。元となる脚本の本筋はそのままに、台詞を歌に託して紡がれたのは、人が人を思い遣る物語。多和田が以前に最善席のインタビューで語った「役をまっとうすれば、おのずと真ん中に立つ」と語ったとおり、木村は周りの総てと真摯に関わる。速水を蹴りつけ「敬礼は!」と怒号を飛ばしたかと思えば、「いやーん!」と長い手足をくねらせ、真っ赤なドレスにヒールで登場し水野に胸をまさぐられて悶える、そして、大山に「殺さずにすんだんじゃないのか!」と叱咤する。そんな彼に「あなたは犯人じゃない……!」と叫びながらも、結局は木村に手錠をかける速水。
ひとつの事件の解決は、華々しいオリンピック。スポーツにかけた青春。この、一見、耳触り(みみざわり)のいい言葉の影にある悲哀をも浮き彫りにしてしまう。水野が再現する、ぐしゃぐしゃに泣きながらも、笑顔のアイコが叫ぶ言葉が痛い。
「もう、あんなに重い鉄の玉を投げずにすむ」
……東京オリンピック開催が問われる、今、だからこそ上演された問題作となってしまった、ということすら、この作品の持つ運命なのかもしれない。と、ここまで書いて、書いても書いても書き切れない自分がいることに気付く……ただ、ひたすらに「やばい」と言いたい、とにかく「観て」と言いたい。けれど、それはもう、二度と叶わないのだ。多和田さんの愛らしさに凛とした美しさと響き渡る歌声、菊池さんの男気と必死さと真っ直ぐさ、兒玉さんのいじらしさと透き通る可憐さ、鳥越さんのずば抜けた豪腕っぷり……4人が全身全霊でぶつかりあい、心から愉しくぶっ壊れて、愉しそう──常に、演劇は事件たれ、と思うわたしにとって、やっぱり、この公演は2020年春のとんでもない事件でした。
煙草のむこうにけぶる夢──改竄・熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン レビュー
文/紅玉いづき 写真/オフィシャル
「熱海」の二文字を見るとすっかり春を感じるようになってしまった。
夏にはオリンピックの行われるはずであった2020年の春、紀伊國屋ホールにて幕があがったのは、「改竄」と銘打たれたバージョン違いの二つの熱海殺人事件だった。その二つのうちでも、内容からだろう、「あなたは絶対に見ておくべき」と言われたのがモンテカルロ・イリュージョンだった。
もともと熱海殺人事件という演目が好きで、思い出も多く、思い入れも強かった。紀伊國屋ホールでもここ数年見ているけれど、やはり「派生」の熱海よりも「原典」の熱海に勝るものはないだろう。そう思いながらホールに座った。涙を拭うタオルだけは準備をして。
そして見終わったあと、これは、「原典」と同じくらい好きな作品だと思った。そう感じるのは、過去の観劇体験の中でもとても珍しいことだった。
どこが違う、ということはもうあげきれない。何もかもが違う。人物の配置も、物語の配置も同じであるのに。燦然と輝く「オリンピック」という巨大なモチーフひとつでこれほどまでに。そして、違いの中でも一番感じ入ったことがあった。この木村伝兵衛は──煙草を吸うことがない。
キービジュアルでもあるように、熱海殺人事件は本来、「煙草」が小道具以上の意味を持ち、ある意味最重要の「演者」でもあるはずだった。けれど今回のモンテカルロでは、デスクの上に灰皿はあれど、煙草に火をつけるのは大山金太郎だけだった。最後まで。
それはつまり、それこそが、かつてオリンピックを目指した木村伝兵衛が「スポーツをやめてもなおスポーツマンでしかいられなかった」ということなのではないかと感じてしまい、気づけば嗚咽をあげんばかりに泣いてしまっていた。
わたしは他の語り方を知らないので、どうしても、この物語が「才能があるものがその才能(キャリア)の終わったあとにどう生きるか」という命題の舞台であった、と思ってしまう。だからこそ「あなたが見るべき」と言われたのだろうとも。
舞台上に上がった四人は誰もが終わりのあとを生きていた。そして今回ひとり残らず、「彼(彼女)らのために振られた役だ」と感じた。泥臭く、清廉に、正しさも間違いもなく、懸命だった。特に、木村伝兵衛役の多和田任益さんは、初めて見る伝兵衛だった。こんなにも、肉体でもって雄弁に喋る木村伝兵衛をわたしは知らない。それは肉体表現の情感(それこそセクシャリティに踏み込むようなそれ)、という意味ではなく、もっともっと、長い手足や、鍛え抜かれたキレのある身体の動きで、それらが「スポーツという世界に人生を捧げてしまった人間の悲哀」にぴったりあっていたからだった。
観終わったあと、用意してあったタオルで顔を覆いながら、自分が今夜この紀伊國屋ホールで一番泣いている自信がある、と思った。
様々なことが起こり、先のことは見えない2020年のはじまりだった。けれど。
これが、わたしの今年の「春の熱海」だった。
改竄・熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン
作:つかこうへい
演出:中屋敷法仁
出演:多和田任益 兒玉 遥 菊池修司 鳥越裕貴
公式HP:https://www.atami2020.jp/