愛に生きた、「少年」の話 つかこうへい戦後80年に問う 革命ミュージカル「新・幕末純情伝」緊急レビュー/紅玉いづき

愛に生きた、「少年」の話

 

ミュージカル「新・幕末純情伝」──ミュージカル!? という言葉を、思わず二度見してしまった。ミュージカル、とは……!? そう思いながら着席をし、はじまった途端……そんな疑問もふっとんでしまった。
あまりに美しい、沖田総司がそこにいたから。
新・幕末純情伝は、女沖田総司の物語だ。中心に立つのはあまりにも「女」を内包した「少女」である沖田総司。時代に、社会に、自分の身体に、心に翻弄される彼女を、めくるめくようなつかこうへいの台詞が彩っていく。大好きな演目で、これまでも幾人もの沖田総司を見てきたが、今回の沖田総司は、あまりに「少年」で驚いてしまった。
自分が、どこにそれを感じたのか、最初すぐには理解できなかった。
小柄でありながら完璧な美しい肉体フォルム、絶叫をしたとしても崩れることのない花のようなお顔、グループ在籍時、“劇場の女神”と称されるのもよくわかる村山彩希さんが、どうしてこれほど「少年」のように見えるのか……。
それは、やはり、その心のあり方なのかもしれないと、ハンカチで目元をおさえながら、嗚咽を飲み込み私は思った。
女として生きたかった、けれど生きられなかった。
本当に、「少年」であれたなら、どれほどよかったか。この国を、変えられたかもしれないのに──。
そう叫ぶ彼女の慟哭は、同じように観客に思わせるに足るものだった。
もちろん、彼女に心を寄せ、時代を描く男性キャストの、泥臭さと必死さは、彼女の「少年」としての美しさを一層際立たせていた。
ごく一般的なミュージカルとはまた違うのかもしれない。けれど、歌とダンスでファンを魅せ続けてきた彼女だからこそ、「ミュージカル」としての新・幕末純情伝を見せてくれたということなのだろう。
でも、この新・幕末純情伝がミュージカルなのならば、『熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』はも〜っとミュージカルなのでは!? と話していた折、12月の発表が飛び込んできて、快哉をあげてしまった。

やっぱり、今、私達にはつかこうへいが必要なのだと思う。

この夏、『新・幕末純情伝』の幕があがるということの、意味を考える。
政治のことについて、言葉にすることも、しないこともはばかれる時代だ。
これから私達が、どのような未来を選んでいくのか。「女にも一票を」と叫んだ、彼らの叫びと、私達は地続きにある。

 

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