KOKAMI@network vol.21『サヨナラソングー帰ってきた鶴ー』は、あの結末から、その先へと向かおうとあがく物語。
2025.9.17
ここではないどこかへと向かう物語は多い。
めでたし、めでたしで終わる物語も。
けれど、その先には日常が待っている。
「ここではないどこかへ」
それはずっと、鴻上尚史という演劇人が追い求めていたテーマのように思う。
『天使は瞳を閉じて』という代表作がある。
物語の始まりに、映像でタイトルが映し出されるが、続く言葉に、はっ、とさせられ、瞬く間に世界へと引き込まれる。
やがて、登場する者たちが置かれた状況が明かされる。
彼らはある閉じられた場所から外へと向かおうとするがーー。
そこは、ぜひとも自身の目で確かめてほしい。
天使は瞳を閉じて・インターナショナルヴァージョン
ロンドン・マーメイドシアターでの公演を全編公開!
映像冒頭にイギリスでのオフカット収録。 ※日本語上映
DVDオンラインショップはこちら
そして、KOKAMI@network vol.21『サヨナラソングー帰ってきた鶴ー』である。
これは、あの結末から、その先へと向かおうとあがく物語だった。

物語は民話の鶴女房と現代が交差しながら進んでいくが、そのセットは実にシンプルで。この舞台美術にも明確な意図があるが、それは劇場で浴びてほしい。
天井から吊られた1枚の布がスライドのように左右へと動き、場面が切り替わったことは伝わる。
だが、そこで繰り広げられる、すべては役者の力量だけに託されているから、とんでもない。

ことに声の響きが心地良くて、ひたってしまった。
もともとの台詞の巧みさもあるだろう、けれどなにより、バランスがいい、というべきだろうか、会話の音が気持ちよくて、とても澄んで聞こえるのだ。マイクの性能とか、そういったことでは決してなく。息遣いや間合い、みたいなものがすごく気持ちよくて驚いた。あんなにも早替えと場面転換が多い! にも関わらず、だ。
一人二役、二つの世界を行き来しているにも関わらず、それぞれの声が色を変え、抑揚を変え、言葉がするすると伝わって、没頭する。わー、これはなんか、もう劇場ならではの体験だ。きっと、毎日、ちょっとずつ、ちがうんだろうな、と想像する。




鶴の世界の掟を破り、おつうの姿を覗いてしまった与吉/売れっ子作家の妻を持ち嫉妬に駆られる作家の宮瀬陽一は、愚かで愛おしい。
鶴でありながら、与吉と生きることを選ぶ、おつう/夫に勧められ書いた小説が売れてしまった妻、篠川小都は己の選択に揺れならがも、ぶれない、いや、譲ることができない。だから、観ていて哀しい。
機織りの姿を覗くようそそのかし、村で生きていくためには美しい布を織らせるしかないと与吉に助言する馬彦/宮瀬の担当編集として、宮瀬の小説を世に出すために奔走する相馬和彦は自身が信じる正しさを貫こうとする。その不器用さが切ない。
鶴の掟や村の掟ではなく、己の心のまま行動する吾作/ある目的のために自身の都合で行動する結城慎吾は、ともすればいちばん無邪気、かもしれなくて、だからこそ、どこか危うい。
物語を構成する4人(8人?)だけでなく、与吉とつうの息子、飛助/宮瀬と篠川の息子、陽翔も自然に物語のなかにいて、彼なりに物事を受け止めて一生懸命考えたんだろうなあ、勝手な大人ばっかりでごめんね、っていう気持ちになり。
観劇しながら、普通、ってなんだろう、と考えていた。
人並みに生きていくことがとても難しい昨今、舞台上の彼らはそれでも、悩んで迷って、選択を続けていた。おそらくは(私も含め)誰かしら、どこかしら、自分の日常と重ねたであろう瞬間があっただろう。
常々、演劇は事件だと思っているので、今、この時代に上演された意味をぼんやりと考えながら帰路についた。たぶん、きっと、私はなにかを受け取ったから。
公式サイト https://www.thirdstage.com/knet/sayonarasong/
東京公演は、紀伊國屋ホールで9月21日(日)まで上演。
大阪公演は、サンケイホールブリーゼで9月27日(土)〜9月28日(日)上演。
当日、観劇できる! という方のために、開演3時間前まで当日券発売中。
DVD発売も決定。
撮影/田中亜紀 文/おーちようこ
