『灯籠』巡る季節と、とどまる心。
昔、ガーデン・ロストという本を出した時、少女と季節を結びつけて、彼女達の、二度とは戻らない花園のこと、を書きました。
日本には四季があり、季節というものは長くはないスパンで巡っていきます。追いかければ遠ざかり、そしていつの間にか、追いかけてくるように再会をする。同じ季節なんてひとつもないのに。
そんなことを、うえむらちかさん原作の舞台『灯籠』を見ながら思いました。
原作小説は、蝉の声が聞こえてくるようなうだるほどに暑い夏の話。そして、舞台は、それとは真逆の冷たい冬の話です。
会場の外ではみぞれまじりの雨の降る中、白く美しい舞台で、冬ごもりをする少女からそのお話ははじまりました。
少女、灯(ともり)は眠るように冬をやり過ごしながら、毎年の夏たったの4日間だけ会える着物の男性「正造」に恋焦がれる少女。
そして灯のそばで、彼女を想う少年清水クンと、彼にまとわりつくように好意を隠さない後輩のショーコ。
登場人物はもうひとり、隙間を埋めるような語り部と本舞台のオリジナルキャラクター、ショーコの友人のカオル。この4人だけで進みます。
原作小説からのあらすじなどは、うえむらちかさん自身による紹介記事がとても詳しいです。
舞台の上で、誰もが恋心を隠すこともせず、真っ直ぐに、正直に、嘘偽りなくとても大切にしています。少年少女が真っ向から己の心を語ると、聞く方は面はゆくなってしまうこともあるのだけれど、今作はどこか甘く優しく聞こえる広島弁が心地良かったです。郷愁を誘うその言葉で、彼女達の気持ちは、観客にすぐに伝わります。でも、それなのに、誰も、前へと、先へと、踏み出すことはしないのです。
踏み出してしまえば、踏み越えてしまえば、崩れるものがあるということを知っているからなのでしょう。蝉が七日で落ちるように、降り積もる雪が溶けるように。
物語は、決して単純な構造ではありません。原作を読まずに舞台を観たならば、最後まで観たあとに、もう一度冒頭から観てみたい、と思うことでしょう。もしくは、原作小説を読んでみたくなるかもしれません。いくつかの答えはそこに書いてあるし、けれど、舞台の上の物語は、舞台でなければ確かめられないものも、数多くあります。
個人的には、最後、主役である灯が「万華鏡のようでしょう」と優しく語るところがとても好きでした。この台詞は、原作小説においては、「正造」の台詞でしたね。
そして、とても好きな台詞が、物語の最後の最後に落とされます。
この台詞が一番最後にあることで、物語は深みを増し、その後の解釈は観客に委ねられます。
彼らや彼女達が、果たして最後に何を選んで、何を求めたのか。
誰かと語り合ってみたいな、と思える舞台でした。
公演は8日(日)まで。寒い日が続きますが、寒いからこそ良い舞台もあります。
私は見終わったあとに、公演チケットを眺め、「カタオモイ.net」という言葉に、確かにな、と小さく笑ってしまいました。
公演名・【カタオモイ.net】プロデュース公演『灯籠』
公演日・2015年2月5日(木)〜2月8日(日)
会場・シアターKASSAI