舞台『K』第一章レビュー。わたしの日記。

 あ、『K』だ。
 そう思った。
 彼らが次々と登場した、瞬間に。
 TVアニメ『K』が舞台になると知り、若手俳優誌『グッカム』(東京ニュース通信社)でキャスト座談会をやらせていただいたこともあり、観劇に。
 ……関わる総ての方々の目指す高み、あるいは心意気、役者の誇りに奮えました。

 あえてトリッキーにややこしく紡がれた、けれど絆の物語が、愛をもって原作準拠で初見の人にもとてもわかりやすく、なおかつ高揚する展開へ、息を呑む二時間と十五分。
 断言してもいい。二〇一四年いちばんの「コレ、どうやって舞台にするの?」案件だったと今でも思うわけですが、ひれ伏すほどのみごとな舞台だった。
 昨今流行りでど派手な影像投影といったエフェクトを一切使わず、照明と音、その空間に翻る真紅の、あるいは蒼の旗、役者の身体、で異能者のバトルを表現してみせる潔さ。演出を手がけたのは末満健一氏。もともと作・演出の舞台『TRUMP』がとても好きで気になってもいたのだけれど、果たして生み出された空間は、末満ワールドの気配を濃厚に漂わせたまま、けれどまるごと『K』だった。
 なによりなにより、出演している役者陣の、2.5次元舞台への矜持みたいなものがものすごく、ひしひしと伝わって、うわあああああ……ってなりました。

 もちろん原作を参考にしてはいるのだろうけれど、ただ真似をする、ただ姿形が似ていればいい、ということでは決してなく、わー、シロ(伊佐那社)とクロ(夜刀神狗朗)だ、八田ちゃんと伏見だ、宗像と周防がいる……と心底思える、あの空間はなんだったんだろう。夢現(ゆめうつつ)の世界にいたのかな、って終演後、思った。
 十束多々良のまとう茫洋とした空気が秀逸だったとか、取材で話を伺った時に八田美咲役の植田圭輔さんが「この役のためにスケボーを買ったので、これから練習します」とおっしゃっていて、みごとに乗りこなしていて、役者、すげえ! と驚いたとか。
 その八田美咲を呼ぶ、鈴木拡樹さん演じる伏見猿比古の「みぃーーさぁああーきぃーーーー」の、わずか3つの音で奏でる名前の音階の禍々しさ、その声だけで十全に伝わる、どす黒くて綺麗で深い執着とか。
 主演のシロ役の松田凌さんが、両手をふわ、と差し出すと、そこに空間ができてしまう自在さや淡い笑顔と相反する座長としての貫禄とか、結わえた長い黒髪をさらりさらりとなびかせながら刀を抜かずに立ちまわるクロでしかなかった荒牧慶彦さんとか。
 客席に降り立ち通路に整列した、セプター4の高らかな『抜刀!』という台詞に薫る誇らしさとか、終始、気だるい空気を漂わせ大人の空気を醸し出す、周防尊役の中村誠治郎さんの佇まい、そんな彼を監視という形で見守るしかない、宗像礼司役の南圭介さんの立ち姿の美しさとかとかとかとか!
 あげていったらキリがない。女の子たちも可愛く気高く、『役』としてそこにいて、すべてのキャストに関して記しておきたいことはたっくさんあるのだけれど。ただただ目を見張り、心躍る時間だった。アニメの世界を体感させられた、ということではなく、そこに世界があり、彼らがいた。それは、すっごい不思議なことで、すっごい奇跡だ。

 2.5次元と呼ばれる舞台が、ここまで辿り着いたんだなああああああああ、と。役者が役をトレースするだけでなく、より己を色濃く乗せていく。そして演出も彼らに寄り添う。
 たとえばミュージカル『テニスの王子様』が表現としてテニスボールのかわりに光の軌跡を取り入れたように、なにより「ミュージカル」という手法を選んだように。たとえば舞台『弱虫ペダル』が自転車のハンドルと己の肉体でレースの森羅万象を体現したように、二次元を三次元で伝えるために数多の舞台が今、この瞬間も切磋琢磨を続けている。

 この軌跡が、蓄積が、舞台という表現の次世代を飛躍させ、担わないわけがない……そうか、とっくにこれは一大ジャンルなんだね。知ってたけど、うれしい。今年もたくさんの舞台を観ているけれど、『K』を見終わったときに、ふいに、すとん、と、そう思えた。
 たぶん、これはひとつのエポックメイキング。
 本当に本当に、いいものを観ました。
 だから続編、観たいです。心から。

 

公演名・舞台『K』
公演日・2014年8月6日(水)〜10日(日)
会場・六本木ブルーシアター

(『舞台男子と観劇女子』1号所収)

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