失われた「尊厳」は、取り戻せるのか。 「熱海殺人事件Standard」初日レビュー 作家・紅玉いづき 寄稿原稿
2024.7.11
例年春の恒例となっていた、新宿紀伊國屋ホールでの熱海殺人事件。
今年は紀伊國屋ホール60周年記念公演『熱海連続殺人事件』と銘打たれ、「熱海殺人事件 Standard」、「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」が上演される。
先だって、「熱海殺人事件 Standard」のゲネプロを鑑賞し、今回の熱海は「挑戦」であり、「信頼」であると感じた。
より力強く、脈々と続いてきた熱海殺人事件を次の世代に伝えるために。
屈強で、信頼が出来る、そんな熱海殺人事件だった。
何度もこの演目を観劇してきたが、今回特に感じたのは、「まるで歌のようだ」ということだった。
一音一音、一言一言だけではない、掛け合いのすべてが、音階に乗っていて、途切れるところがない、なんと耳に心地のよい熱海!
これは、演出キャスト全員の、信頼があって出来るものなのだろう。
7月5日、その初日に向かう道すがら、私は今回
「熱海が初めて、つかこうへいが初めて」
という友人に、
「熱海殺人事件とはどんな物語か」
を説明していた。
私が毎年「熱海殺人事件」に足しげく通うのは、その言葉の強さと面白さを感じるためだ。
なめらかで激しい濁流のごとき言葉を、「浴びる」そのために劇場に向かっている。
好きとか嫌いではなく、熱海を浴びなければ、一年の具合が悪い、とさえ思う。
その熱海の言葉を、初めてでも、ひとかけらでも多く受け止めてもらうために、私は今回友人に、私の思う熱海殺人事件の「意図」を説明した。
以下、よく知る人には今更でありながら、一切物語の前提を知らずに熱海殺人事件を「浴びたい」という人は、読み飛ばしていただければいいと思う。
「熱海殺人事件」のシチューションは、東京の捜査室の一室だ。
そこから出ることはない。
そこには、木村伝兵衛という破天荒な刑事がひとり。
彼を愛し支える部下、水野朋子という婦人警官がひとり。
二人だけの捜査室に、田舎から赴任してきた野心あふれる若き刑事、熊田留吉が現れ、物語がはじまる。
東京の刑事である木村伝兵衛は、熊田の生まれ、育ち、その貧しさを弄ぶように煽る。
その姿は傲慢で型破りで、時にチャーミングでさえある。
人間には、富むものと貧しいものがあることを、歴然とたたきつけるようでもある。
そして、最後の「ひとり」が舞台上に現れる。
熱海の海岸で、アイ子という同郷の女を殺したとされる──大山金太郎容疑者である。
私は、この熱海殺人事件の物語の「意図」を、この、大山金太郎という容疑者の、「人間性の立て直し」にあるのではないかと考えている。
人間性を立て直すということ。
それは、一度は失われた尊厳を、取り戻すということだ。
小さな捜査室だけで、限られた短い短い時間で、その困難が、どう果たされるのか。
登場時、マッカーサーのごとく、ヴィランであり同時にスターのように現れる大山金太郎は、すぐにその本性を現す。
熊田よりもまだ強い訛りを喋り、貧しく、卑しく、かたくななその姿は、彼自身が、自分を諦め、尊厳を失っている姿だ。
なぜ、諦めてしまったのか。なぜ、失ってしまったのか。
強者が弱者を、罵るということは虐げることだろう。
殴ることは虐げることだろう。
しかしひとが本当に尊厳を失うのは、その瞬間ではないのだろうと思う。
虐げられていた自分が、より弱い者を虐げはじめた時。
そして同時に、自分自身を虐げはじめた時。
その時こそ、尊厳は失われていく。
そして、他人はもとより、自分でさえ、自分の救い方を忘れてしまうのだ。
捜査室において、木村伝兵衛が大山金太郎に対して行うのは、決して丁寧で優しい捜査ではない。
時に罵倒、時に暴力、時に雲に巻くような喜劇を演じて、
それでも、木村伝兵衛は、大山金太郎に向き合おうとする。
彼が、彼の傷と、彼の痛み、なくした尊厳に向き合えるように。
私の長い説明を聞いていた友人が、少し不思議そうな顔で、
「その、殺人事件の物語は、どこが一番、泣けるんですか?」
と聞いた。
きっとひどく泣いてしまうだろうからと、膝の上にタオルを置く私に。
熱海のどこが泣けるのか。
人間の、心、その激情に触れられるからだ、とその場では答え、初日の私は、その感触を再び確かめた。
終盤、ドラマティックな展開が立て続けにおこるが、大山金太郎が、木村伝兵衛に対し、最大限に虐げられる姿を見せる場面がある。
伝兵衛の、靴を舐めるがごときその場面を、今回はっきりと、「受容だ」と私は感じた。
これまで大山金太郎が受けた傷の受容。痛みの受容。
そして、失われた尊厳が確かに存在したという、受容であり発見であると。
誰もが彼の、その受容に真っ向から向き合ったからこそ、最後に尊厳を取り戻したのは、大山金太郎だけではないはずなのだ。熊田も、水野も、そして木村伝兵衛でさえ。
そして、客席に座る、私達も。
私達にも、きっとある。
豊かさや貧しさというそれだけではなく、
生きているだけで、尊厳を失うように感じることが。
そして、その尊厳は、取り戻せるのか。
取り戻せる。
そう、強く、今回の「熱海殺人事件 Standard」は教えてくれる。私はタオルを握りながら、確信した。
ぜひ、劇場で、このドラマティックさに触れて欲しい。
そして、まったく違う変容を遂げる、「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」を、ぜひ、たて続けに。
この夏は、熱海がある。
舞台の上の全員が、時に客席さえも、だくだくと汗を流しながら、「熱海殺人事件」を体感して欲しい。
人間は、なくした尊厳を必ず取り戻せるのだと、買いかぶってみるために。
撮影・神ノ川智早/文・紅玉いづき