ミュージカル『テニスの王子様』『テニミュ』という、青春。
「テニミュって取材のたびに越前リョーマ役が変わっているなあ……」
と、いう程度の認識だった。
当事のわたしに「その意味を考えろ!」と、叱咤したい。
初めてミュージカル『テニスの王子様』に仕事で関わったのは、2006年のこと。実写映画『テニスの王子様』の記事だった。越前リョーマを本郷奏多さんが演じ、それ以外は二代目青学メンバーがそのまま出演されていたこともあり、なんとなく存在を知っていた、その舞台に触れる機会に恵まれた。
次は2007年のこと。三代目、越前リョーマの桜田通さん。2008年には五代目の高橋龍輝さん。ともにサブカル系情報誌で新作舞台の主演インタビュー、という位置づけだったと記憶している。
多分、このとき、わたしは、点、でしかテニミュを観ていなかった。たまにわたしのもとに訪れる作品で、追いかけているわけではなかった。でも、視界の端には常にあって、取材のため編集部から声をかけてもらったら観る、みたいな。
けれど、その当時、すでにチケット入手困難な舞台へと成長していたことはもちろん知っていた。
初めて、線というか、点がつながり、面だ、と意識したのは、だいぶ遅くて2012年12月20日のこと。七代目青学の初試合、ミュージカル『テニスの王子様』2ndシーズン 青学vs比嘉のゲネプロ終了後のマスコミ向け囲み取材のときだった。
メンバーは、六代目からひとり続投となった越前リョーマ役の小越勇輝さん、2ndシーズンの立海副部長・真田弦一郎役の小笠原健さん、そして、青学部長・手塚国光役の多和田秀弥さんだった。
小越さん以外、六代目青学メンバーがミュージカル『テニスの王子様』コンサートSEIGAKU Farewell Partyをもって卒業した当時、まわりの、テニミュを愛する人々は哀しみに暮れていた。いや、哀しみなんてもんじゃなくて、嗚咽。あるいは慟哭。
その姿を薄目で眺めながら「……テニミュの沼は深そうね(まあ、たいてい、どこも沼は深いんですが)」と思っていた矢先のこと。
七代目、青学部長・手塚国光役の多和田さんは、これがデビュー作で、その面持ちは少し緊張していたかもしれない。当事のコメントが手元にある。
「今は(小越)勇輝がメンバーを引っぱってくれています。僕も目の前のことに全力で取り組み、勇輝が背負っている荷物を少しでも軽くできるよう、いずれは部長として一緒に青学を引っ張っていける存在になりたいです」
これは、わたしの取材ノートに残っていたメモ(ちなみに拙宅にはこれまでの取材で使った大学ノートが何十冊となく捨てられぬまま積んであり、そこから引っ張りだしました )。
しかし、その後、みるみるうちに部長の顔になっていく姿を目の当たりにすることとなる。
この囲み取材のちに、縁あって東京ニュース通信社『グッカム』という若手俳優グラビア誌を手伝うこととなり、幾度となくテニミュの記事を手がける機会に恵まれた。ありがたいことに、そのうちの三回は役の衣裳で撮りおろして登場いただくことも実現した。
……取材のたびに彼らの自覚に、熱に、想いに圧倒されていた。恥ずかしながら、ようやっと点を線に、線から面に、面から立体に。立体が連(つら)なって、ひとつの奔流となっていくさまを肌で感じていくこととなった。
人が成長することは決して当たり前のことではなく、本人の確固たる意志と行動によるしかないのだと思い知る。
顔付きが変わった。体型が変わった。瞳が変わった。語る言葉が変わった。
「勇輝と並んで恥じない部長でいたい」
……2013.10『グッカム』vol.29
大阪・四天宝寺部長、白石蔵ノ介に挑んだ安西慎太郎さんに「慎太郎は同い年で同じ部長なので気になっていました」と明かし「すごくストイックで心が強くて自分に厳しい」とエールを送り、「むしろストイックなのは秀弥のほう」と返されて。
「それはやっぱり『手塚』という役であり、部長としての立場としても、何事もいちばん自分ができていなければならないと思うから」
……2014.01『グッカム』vol.30
目指すことから、並ぶことへ、そして背中を見せる立場へ。
今年、2014年11月24日で二年間、演じた役を卒業。二日後の11月26日、自身のブログにつづられた言葉の一文に、はっ、とさせられた。
「正直、部長って何やねんって思ったり、辛くなったこともありました。」
……2014.11.26 多和田秀弥オフィシャルブログ「TAWA-BLO.」
ああ、本当に本当に苦しんだのだろうな、と思いました。
一方、2012年末。話を伺ったもうひとりに、立海部長・幸村精市役の神永圭佑さんがいました。難病を克服した幸村として、ミュージカル『テニスの王子様』2ndシーズン青学vs比嘉の舞台に立っているときのこと。
映画『幕末奇譚SHINSEN5 ~剣豪降臨~』公開を控えた取材で、テニミュキャストの先輩にして、当日の対談相手の馬場徹さんに初共演で緊張したと語り、その先達からのアドバイスに神妙な顔つきで聞き入っていた神永さんは、最終戦となる全国大会 青学vs立海 を目前に控えたある日、立海メンバー八名全員での座談会で
「でも、今回は幸村として
『僕についてきてください』と言わせてほしい」
……2014.07『グッカム』vol .32
と、声にした。
これまで、仮面ライダーや戦隊シリーズの書籍を手がけ、ひとつの役に没頭する姿を一年間追うことがいちばん長かったわたしにとって、それ以上にひとつの役を演じ続ける姿を追うことは初めてで。こんなにも演者は変わっていくのか、と目を見張り。子役が育ち成人した役者になる、ということとはまるでちがう、芽吹いた緑がしなやかに天へと伸び、大輪の花が開くかの如く。
そんな彼らの姿を舞台で観続け、追いかけている人々はもっとずっと感じていただろう。取材で語られた言葉より強く、苛烈にまっすぐに。舞台での姿がなによりも雄弁に語っていたからだ。もちろん、わたしもその末席で幾度となく胸かきむしられ。
舞台とわかっていながらも、絶対に青学が勝つ、とわかっていながらも、もしかしたら今日こそは……と、ときには息もできなくなって。
同じ、11月24日。
16歳から20歳という四年間を、越前リョーマとして過ごした小越勇輝さんがみんなと一緒にテニミュを卒業しました。2011年、初舞台だったミュージカル『テニスの王子様』2ndシーズン青学vs不動峰 のDVDを改めて観れば、まだあどけない表情の、その人がいる。
彼、そして彼らは、テニミュという物語に全力で伴走してくれた。その姿を観続けることができたことが幸せだ。
とてもとても尊い時間を、ありがとう。
僭越ながら、ささやかだけれど、その言葉を伝える場所に立てたことを心から誇りに思います。
今ならわかる。同じ役が引き継がれていく、その重みに。
思いを馳せる。
(『舞台男子と観劇女子』1号所収)