「現実」が「幻想」に変わる瞬間を見よ 舞台『熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン2025』紅玉いづきレビュー

「現実」が「幻想」に変わる瞬間を見よ

紅玉いづき

 

演劇とは、現実である。
劇場で、人間が演じる。喉を枯らし空気を震わせ、人体を駆使し表現される。
「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン 2025」において、
多和田任益の演じる木村伝兵衛の美しく長い手足は現実であるし、
嘉島陸の演じる速水健作の深く落とされた腰は現実であるし、
木﨑ゆりあの演じる水野朋子の震える歌声は現実であるし、
鳥越裕貴の演じる大山金太郎の蹴りつける力強さも、現実である。

そして、熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョンは、その、イリュージョンの名前の通り、幻想である。

私達はラストシーン、間違いなく、そこに幻想の跳躍を観る。
このために1時間45分があったのだと、思い知らされる。

2020年、そして2024年、モンテカルロを観た私は、この物語を才能の悲哀の物語だと見た。
決して煙草を吸わない、スポーツマンにしかなり得なかった男の残酷な情熱の話だと。
けれど2025年、私達の前に幕が上がったのは、震えるほどの「愛」の物語だった。

台詞はそぎ落とされ、しかし一言一言が丁寧に拾われていた。
完全再演だからこそ、役者ひとりひとりの圧倒的に高い理解度をもって、私達は彼らの感情を受け止めることが出来た。

その、決して愛し返されない愛を。

愛を歌う男、木村伝兵衛は、愛した男から愛されない。
それは、醜かったからでも、オカマだったからでもないだろう。
その男よりも、棒高跳びの才能があったから。

速水健作は、兄を殺した真犯人を見つけることで、兄への愛を果たそうとする。
けれど同時に、「あなたは犯人ではない」と木村伝兵衛にすがる。
スポーツマンとしてあって欲しかった兄と、兄よりも高く跳べる男を前に、決断を迫られる。
そして、愛した全ての者を見送らねばならない。

大山金太郎は、他の男を愛している女を、愛しているから、殺す。
それしか彼女を愛する方法がないと思っているから。
過ちとしか言えない愛でも、彼の愛は鏡のように、受け継がれる。アイ子ではなく……その再現をした、水野朋子に。

「親からそうしつけられた」正しい愛を持つ、水野朋子は、
正しいから愛し返されるわけではない、という残酷な事実を私達に突きつける。
しかし、最後に──。
彼女は愛し勝った、と私は感じた。

アクが強く、悪ふざけなほどトリッキーなモンテカルロ・イリュージョン。しかし、初めて見るならこの2025が間違いなく最高だと思う。
それは、舞台に関わる人全ての、誠実さと優しさが滲んでいるからかもしれない。
メロディラインにのった台詞は心地よく、唐突に差し込まれるムード歌謡も、ぜひその「ムード」と「歌詞」を噛みしめて聞いて欲しい。
きっと、思わず、手を叩かずにはいられなくなると思う。

現実が幻想に変わる瞬間が今、新宿紀伊國屋ホールにある。

 

撮影:サギサカユウマ

著: | カテゴリー:著・紅玉いづき,レビュー

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