ミュージカル『テニスの王子様』周回遅れの春みたいに

 決して広くはない1Kのマンション、デスクトップのパソコンの、一太郎で打ち込みをしている後ろで、友人達が歌っている。
 狭い部屋にはこれが限界と言われた37型のテレビから流れるのは、テニミュのDVD。たまにあがる悲鳴に振り返って、テレビ画面を見る。
「今のもう一回! もう一回!!」
 友人達は手慣れた様子でリモコンを操作してお気に入りの歌を繰り返し、私は空になったコップを彼女達のテーブルに置く。暗黙の了解で、アイスコーヒーのおかわりが注がれる。
 しばらくテレビを眺めて、私はまた仕事に戻る。イヤホンから別のBGMを流すこともある。その時テニミュのどの公演のDVDが流れていたのか、はっきりとは覚えていない。
 大学を出てしばらくの間、私とテニミュのおつきあいってのは、そんな距離だった。
 地元の大学で大きな漫研と文芸部に入って、とにかく毎日小説を書いていた。特に漫研の女子同級生が、テニミュが好きな子が多くて、集まって上映会しているのに顔を出したことがある。ひとりの子がすくっと立ち上がって団扇をラケットに見立てて踊りだした時、「ちょっとアンタ」と笑ったのだけど、「使う!?」と返されてもっと笑った。どちらかといえばテニミュよりも、テニミュを好きな彼女達を見るのが楽しくて好きだった。
 テニミュを見に行こうかな、と思ったのは、それとはまた別の、好きになったコミック原作舞台がきっかけだった。そこに出ていた役者さんが、テニミュにも出ていると知って、「行ってもいいかも」と初めて思った。初めてテニミュを見たのは2011年、2ndシーズンの関東氷帝の千秋楽だった。面白かった。アンコールでリョーマ役の小越くんが近くに来て、格好良かったね、なんて言っていた。単なるお客さんだった。なんにも、物心ついちゃいなかった。
「テニミュの初日に来てみませんか」そんなお誘いを受けたのは2012年、関東立海が始まる直前のことだった。私は編集さんを二人ほど、この公演にお連れする約束をしていて、その編集さんから「良ければ」と誘って頂いたのだった。この時そもそも編集さんに最初の声をかけてくれたのが、おーちようこさん、だった。
 初めて見る関東立海は、それまでのテニミュ公演同様、「面白かった」。演出も華々しく、これが立海という人気校なんだなと納得した。その中で、ひとり、特に印象に残った子がいた。「上手い」でも「好き」でもなくて、「なんだかつたない」そう感じたのは、切原赤也役の、原嶋元久さんだった。
 なんだかつたない、ちょっと心配、でも可愛いね、なんて笑っていた。またまだ私はお客さんだった。
 そして十日ほど後、東京公演の後半に、編集さんをお連れして、私は初めて「同一公演の二度目」を見ることになった。
 休憩時間、今でも忘れられないのが、隣に座った編集さんの一言。
「紅玉さん、赤也ばっかり見てる……」
 だって、と私は口元をおさえてだってだって、と子供みたいに言った。だって、全然違う!!!!
 あの初日、テニミュ初心者の私を、つたないね、なんて笑わせた、なんだか可愛い男の子はそこにはいなかった。なにが違うのかは、初心者の私にはわからなかった。でも、全然違った。
 二度目のテニミュ公演。面白かった、とはもう思わなかった。
 大変なことになった、と愕然とした。この短期間で、これだけ変わるということは。
 これから先だって、変わり続けるっていうことだと思った。
 その夏のことは、もうあんまり覚えていない。初めて地方まで行った。初めてひとりでチケットをとって、譲ってもらったりして、とにかく見られるだけ見た。六代目青学の卒業である、千秋楽ライブビューイングで馬鹿みたいに泣いた。ぼろぞうきんみたいになって、明日からどんな風に生きていけばいいのかわからなくなった。
 泣いてる私に「しばらく部屋の埃みたいになってればいいんだよ」と笑ったのは801ちゃんだった。みんな、こんな気持ちを味わって来たのかと思った。大学時代、卒業した後も、私が笑ってきた友人達は、みんな。
 ちなみに、その時801ちゃんに送ったメールはこんなだった。
「おごたんは、王子様から侍になって、最後は一人でなんか行きたくない、普通の男の子になったよ」
 原嶋さんの演じる赤也を追っかけて関東立海を駆け抜けた。
 私はテニミュの全部が好きになっていた。
 過ぎてしまった舞台に行ってみたい、とは思わない。はまるのが遅かったとも思ってはない。いつだってあまり後悔はなく生きているけれど、大学時代にテニミュ好きな友達を笑っていた自分だけは、グーのパンチで殴ってやりたくなる。
 もう、絶対許してもらえない、恥ずかしい、と思っていたんだけど。大学時代の友人達とは、それから後、ドリームライブなどで再会して、「ようこそ!!」とみんな笑ってくれた。
 わたしの長い観劇ロードはそんな風に、ちょっと情けない形だけど、周回遅れの春みたいに、唐突にはじまったのだった。

(『舞台男子と観劇女子』1号所収)

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