戯曲誕生から50周年『「熱海殺人事件」バトルロイヤル50’s』公演中。紅玉いづきさん おーちようこさんレビュー!

稽古場取材に続き、舞台上から客席へ、狙い撃ち!

だから「熱海殺人事件」が大好きだ!

現在公演中の『「熱海殺人事件」バトルロイヤル50’s』へ、想いを込めたレビューをここにお届けします。
本公演は8月20日(日)まで。公演詳細はこちらへ。

少年の瞳にうつった海は

紅玉いづき

つかこうへいの『熱海殺人事件』は、その膨大なセリフ量と勢いに最初は目を回してしまうが、筋立ては至ってシンプルだ。東京、木村伝兵衛という部長刑事の部屋。彼の他には部下の婦人警官ひとりがいる捜査室に、野心をもって田舎からやってきた熊田刑事。彼に与えられた事件は、職工の男が女を殺した、地味で泥臭い事件。容疑者である大山金太郎が、どうして女を殺したのか。あるいは殺さなかったのか。それを確かめるだけではなく、伝兵衛は事件を「自分好み」に編曲していく。そして、事件のすべてが暴かれた時、その捜査室にいる全員が、自分の心を決め、一歩踏み出す──。

そういう話であると、思っていた。何度も見て、わかりきっている、と。けれど今回、なにもわかっていなかったのだ、また新しい熱海に出会った、と痛烈に感じた。

今回の『熱海殺人事件 バトルロイヤル50’s』は、私が知る中でも実に「スタンダード」な熱海だった。その中でもゲネプロは、初日と同じスタンダートと名付けられたキャスティング。スタンダードの中のスタンダード。まず驚いたのは、ゲネプロの段階でこんなに『仕上がって』いる熱海ははじめて! ということだった。全力で、自由で、なんならまだ余力があるのではないか。木村伝兵衛役の荒井さんは、完全に「伝兵衛の喋り」を会得しているし、熊田役の高橋さんは、自分の肉体まで余すことなく使って言葉を繰り出し、「受け止めてもらえる」という信頼が見える。水野婦人警官役の新内さんは三度目。どこまでも清廉で、可憐だった。

そしてその中で、容疑者大山金太郎役、多和田さんの純粋さが際だった。

かつて私は、この物語を、消しきれない田舎の悲哀であると読み取った。そして、木村伝兵衛が行っているのは、「田舎者の矮小な犯罪」を、「都会の一流犯罪」にしたてあげることだと。田舎からきた熊田が「あなたの卑しさがこの事件には必要だ」と言われているにもかかわらず、だ。

それが間違いだった、少なくとも、今回の『熱海殺人事件』では、間違いだった。

容疑者大山金太郎は、誰よりも美しく、かわいらしく、そして純粋だった。確かに19歳の少年だった。だからこそ卑屈になり、虚勢を張り、かたくなになって、愛した女の首をしめるまでになった。彼は、田舎に産まれたから不幸だったわけではない。本当は、彼の瞳が美しいように、彼の瞳にうつる、美しい五島の海を愛していたはずだった。

ラスト、伸ばした男と女の指が交わらず、くずれ落ちる。そこから、「本当はこうであったらよかった」被害者アイ子の、美しい幻想が浮かぶ上がる。これが、大山金太郎が見た、はかない夢であると、こうなりたかった姿であると。だとすれば、これは「東京の犯罪」ではなく、伝兵衛が「田舎者を、本来かえりたかった田舎に」返してやる編曲なのだと思った。

十三階段、少年の目に映った海は、きっと熱海の海ではない。

物語の終幕、ひとり、またひとりと、登場人物達は捜査室をあとにして。
煙草と伝兵衛だけが、今日もあの部屋に、東京に、ひとりでいることだろう。

爆音の『白鳥の湖』で幕が開き
煙草をくゆらし幕が閉じる
けれど道程は役者に託される

おーちようこ

熱海殺人事件は「事件」とありながらも犯人がわかっている。そう、最初からネタバレしているのだ。だって配役に、犯人・大山とあるのだから。

劇場でなにを見せられるのか? というと「田舎生まれの職工が幼馴染の女・アイ子(水野朋子・二役)を熱海の海で殺した」事件の「動機を追いかける過程」である。

もう、殺しちゃったし、なんだったら証拠もあるんだから容疑者として呼ばれた大山金太郎が犯人でいいでしょ! とはならない。それどころか、事件を預かる木村伝兵衛部長刑事は、証拠を消し去り! ねつ造し! どんどん事件の在りようを自分好みに!? 変えていってしまうのだ。

なぜか。
おそらく伝兵衛にとって大切なのは「動機」だから。
なぜ熱海なのか? なぜ腰紐なのか? 砂浜に残された不自然な跡はなんなのか? そこに至る大山の心の機微を暴力的に、茶化しながら、けれどきめ細やかに伝兵衛は問うていく。

やがて。
大山のやるせない日常が暴かれ、閉塞感が明かされて、捜査が進むにつれ、故郷の富山で己に尽くしてくれた女を捨て、出世街道を駆け抜ける気満々の熊田にも伝播する。もちろん、客席で観ている観客にも。

きっと、どんな殺人事件にも「そうなってしまった理由」がある。わずか4人の登場人物が、それぞれの役を自身の解釈で、熱量で、全力でぶつけあう。

戯曲の始まりから結末は常に同じ。けれど、そこに辿り着くまでの伝兵衛が、熊田が、水野が、そして大山が、板の上でどう生きるか? は役者に託されている。

初日を控えた会見で、総合演出の河毛俊作さんは明かす。
「役者という生き物の身体と精神にかける負荷の凄まじさとか、台詞と台詞の行間に埋まってるものの時代を感じさせない深さ、広がり、つかこうへいという人が残した、そういうものを日々、掘り起こす作業をずっとやってきました」
同時に、こうも語る。
「映像は編集ができますが、舞台というのは稽古が終わって送り出したら役者のものですから演出家はもうなにもできません。あとは走るも停まるも役者次第なので、みんなが走り切ってくれることを信じて送り出します」
その言葉通り、託された役者はひたすらに走りだす。

かつて三浦洋一さん、風間杜夫さん、平田満さん、加藤健一さんといった大ベテランの役者から始まり、50周年を迎える今年に至るまで、その年ごとに若手が挑む作品と位置づけられ、この戯曲は時代を駆け抜け続けている。初めて観たのはいつだろうか? おそらく池田成志さんが伝兵衛に挑んだ『熱海殺人事件』だったように思う。が、とにかくその衝撃だけは覚えている。爆音の『白鳥の湖』が流れるなか幕は開き、役者が真正面を向き決め台詞を吐く演出。

その、カッコよさたるや!!! ずるい。
いろいろな作品でパロディとして、オマージュとして、今も影響を与え続けていることもうなずける。単に憧れて真似るだけならできるだろう、つい演りたくもなるだろう。その気持ちはわかる! だが、その台詞を吐く瞬間、どんな解釈がこめられているか? に正解はなく、いつだって丸ごと役者に託され、試される。これ、すげえ、怖い。最後の水野とのくだりだって、本当に茶番なのか、優しい嘘なのか、いくらだってとりようがある。

ゆえに観る側はとてつもなく、おもしろい。
だって、本当に毎年ちがうから。同じ『熱海殺人事件』はふたつとしてない。そうして、この戯曲は50年もの間、生き伸びて、これらかも演じ続けられていくのだろう。
だからこそ、今年の『熱海殺人事件 バトルロイヤル50’s』を目撃してほしい。去年とも、来年ともちがう「今」がそこにある。

「スタンダード公演」ゲネプロ写真をどうぞ

撮影/おーちようこ

PAGE TOP