いつだって、わたしは「漫画家」です。だから描き続けます。 高河ゆん 40th Anniversary Exhibition によせて。

ライター、おーちようこによるロングインタビュー不定期連載「劇的人生!」2026年第一弾をここに。

 

いつだって、わたしは「漫画家」です。
だから描き続けます。 

  

1980年代、「高河ゆん」という存在は鮮烈だった。
美しく洗練された絵柄とともに、独特なモノのミカタ、つづられる言の葉、価値観、世界観から紡がれる物語たちは多くのクリエイターを魅了し、今も広く影響を与えている。
その活動は衝撃的で、当時は異例だった同人活動を経ての商業誌デビュー。
自ら同人誌展示即売会を主宰、TM NETWORKコンセプトアルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』から生まれた物語『CAROL』のキャラクターデザインに抜擢。
アーシアン(地球人)の存在を問う代表作『アーシアン』のOVA化、オリジナルアルバムのリリースに企画から参加。
2026年現在、いずれもクリエイターにとっては馴染み深い創作の景色だが、実はそれらをいち早くやってのけた存在でもある。

 

 

見たいと言ってくださる方々のため
今、わたしはまな板の上の鯉です! 

  

ーー画業40周年原画展「高河ゆん 40th Anniversary Exhibition」開催、おめでとうございます。

高河:あー、のねッ、正確には41年目なんだけど「40周年イヤー」ということで、お許しください。というか、今の気持ちをものすごく正直に言ってしまうと……ありがたいです! ものすごく! ありがたい! でも、気持的にキツイというか、困惑してます……。 

ーーなぜでしょう!?

高河:過去の原稿もものすごくたくさん展示していただくからです。その前の、高河ゆん個展2020「夜明けの森で会いましょう」はpixiv;WAEN GALLERYさんということもあって、 デジタル化した『LOVELESS』(言語による闘争「スペルバトル」で戦うSFファンタジーで2005年アニメ化)といった作品が中心でした。さらに pixiv で活動されている絵師さんの個展が多かったので、漫画家らしさも出したくて。生原稿の展示といった、わたしらしさを盛り込みました。
でも、今回は……主宰のムービックさんはじめ関係者がデビュー当時からを振り返ろうと、昔の作品を掘り起こしているんですよー! 抵抗しましたが「応援し続けていてくれる人たちのために!」と言われると、そうなのかなあ……とも思う日々です(笑)。 

ーーそれはやはり、みなさん、うれしいのでは? 

高河:そうなんです? 気付いたら「40年前の原稿を探せ!」みたいになっていて。「それは辱めだ!!!」と抵抗していたんですが、「逆の立場になって考えなさい」と言われると。
確かに自分でも「好きな漫画家のデビュー当時の原稿を見たいか?」と問われたら「そんなの絶対、見たい!」って、なるので、それはそうかあ……と。「見たいという方々がいてくださるなら応えましょう!」と。今、気分はまな板の上の鯉です。やるからには、とことんやってくれえええ、と。ただ、難関もあったんですけれど(笑)。 

ーーなんでしょう。

高河:生原稿の一部が行方不明なんです……わたしの手元にはあんまりなくて。結局、担当が編集部に連絡して回収してくれました。先方では当然、きちんと管理されていて、あるものは無事ありまして事なきを得たんですが、うちにあるはずの分がね……。わたし、管理が苦手すぎて、たぶん処分しちゃったんだと思うんですよね。 

ーーえええー!

高河:だってー! 紙って表に絵を描いたら裏にはもう描けないしね。使用済みの紙ですよ。今回は本当に保存していてくださった各社の方々に感謝しかありません。資産として考えていなさすぎましたね。幼稚です。 

ーー豪快すぎます……が、そのデビュー当時のお話を伺います。そもそも漫画とどこで出会うのでしょう。

高河:振り返ると、親に買ってもらったのが最初です。母の実家が新潟で上越新幹線(1982年開業)もない時代に帰省するために、小学生の子どもがいかに車中大人しくしているか? を考えたんでしょうね。好きな漫画を一冊、買っていいよと言われて。子どもながらにたくさん楽しめるように「厚い本がいいな」と思って選んだのが、別冊マーガレットでした。
ものすごくおもしろくて、一気に引き込まれました。そこから漫画に没入することを反対する母とわたしの戦いが始まるんですが(笑)、それは昨年末noteに書きました。 

ーーそれから漫画を描くように? 

高河:もともと絵を描くのは好きでしたから。みんな、小学校のときにお話考えてノートに描いてたでしょう? あんな感じで好き勝手してました。
そのうちに『週刊少年ジャンプ』の存在を知ります。近所のお姉さんに読み終わった後の雑誌を貸してもらっていて。車田正美先生の『リングにかけろ』(1977年〜 1981年)と出会ってしまったんです。 

ーーペンネームの「高河ゆん」はそこに由来しているとか。

高河:そうですね。今ではちょっとないことですが、『週刊少年ジャンプ』に車田先生の公認ファンクラブの募集が載ったんです。
そんなの当然、申し込むし、会報作りに参加するし、もちろん自分も投稿するし……と、ここで同人誌という存在と出会ってしまうわけです。 

ーー本作りのおもしろさを知ってしまった? 

高河:はい。わたしが今も同人活動を続けているのは、そこが出発点かも。漫画を描くこととは別の、紙から装丁から丸ごと一冊、自由にできる可能性がつまっていて、別の魅力があったんです。わたしはそれを中学生で知ってしまいました。 

ーー当時、すでに漫画家を目指していたのでしょうか。

高河:いやいや、まだそんなことは考えてなくて。とにかく漫画を読むのも描くのも好きで楽しくて。中学生三年生のときかな、車田先生の仕事部屋に招いていただく機会もあって。
そんな感じで漫画、漫画の毎日で、もう自分には漫画しかなかったし、進学せずに、昼は缶詰工場で働いて、あとは漫画を描いて生きていこうと思っていたんです。でもファンクラブ会長さんから「高校くらい行っとけば」と言われて従順なわたしは受験することにしました。必死で勉強しましたね。同人誌展示即売の存在を知って、初めてコミックマーケットに行ったのもその頃。ファンクラブ情報で「コミケに出ます」とあって、なんだろう? と調べて行った会場が川崎市民プラザでした。それが、ものすごいカルチャーショックで、のめり込みました。 

ーーそこから同人活動へ? 

高河:ちょうど『リングにかけろ』の連載が終わったときで、アニメも好きだったから、出会っちゃったんですね…… J9シリーズに! 『銀河旋風ブライガー』(1981年放送)なわけですよ。めちゃくちゃ、おもしろくって、かっこよくて。pixivとか電子の発表の場なんてなかった時代だから、みんなが描いた同人誌が読みたくて、同人誌即売会に通い倒して、めちゃくちゃ友だちが増えていって。
当時、同い年の作家がたくさんいてね。年が一緒だと固まりやすくて、今でいうところの「同担拒否」とか「解釈違い」みたいなのもあるにはあったけど、そこは同じ作品を好きな者同士だし先に生身の人間として出会っちゃうと、おもしろいもので、たとえ衝突しても乗り越えられちゃうんですよ。そこで同人誌印刷のことやサークル活動のことを教わって、自分でも創るようになりました。 

ーー装丁へのこだわりや、遊び紙、特殊加工に多色刷と手がけられる同人誌の美しさや画期的な試みは話題となり、ある意味、同人誌印刷の流行を生んでいました。 

高河:いい時代だったと思いますが、最初から作ったものを手にとってもらえて、予算があったので実験的な印刷が試せたんですよ。 

 

 

漫画という労働で稼ぐ
おもしろさを知りました 

  

ーー商業誌デビューと前後して、1985年にルイザ・メイ・オルコットの古典小説『若草物語』を一冊丸ごと描き下ろし、1997年にデジタル化されています。 

高河:とにかく大変でした。自宅に封書が届いたんですが、差出人が会社名で住所も手書きじゃなくて印刷されていて、そんなのもらったことないからびっくりしちゃって。それが「小説の『若草物語』を漫画で描きませんか?」という出版社からの依頼でした。当時の同人誌は奥付に自宅住所を載せるのが当然のルールでしたので、そこから連絡をくれたんですが、勢いのまま「やります!」って返事して(笑)、そこからが地獄でした……。単刊もので100頁以上あったので。
今だったら引き受けられないし、プロのアシスタントさんの存在も知らないから、友だちを呼べるだけ呼んで手伝ってもらいました。家中のそこかしこでベタを塗ってもらったり、スクリーントーンを貼ってもらったりして、なんとか描きあげました。このときに、原稿は描けば終わる! って学びましたねえ。 

ーー興味があると飛び込んで、やっちゃえ、的なマインドがすごいんですが、それはいつからでしょう。 

高河:「おもしろい! やろう! やったら結果が出た」と直結しているんです。たぶん、これは労働で稼ぐことのおもしろさに通じているんだと思うんです。母が洋裁師でずっと働いていたんですね。共働きの家に育って、労働の対価にお金をいただくということを叩き込まれていたように思います。
だからアルバイトを始めたのも早くて、効率が良かったのが交通量調査です。早朝に集められてバスに乗って、知らない場所にお弁当を渡され降ろされて、何が何台、通ったとかちくちくと記録して。まあまあ過酷なバイトだったけど、日給が良かった。友達にも紹介しましたが女子高生向きではなかったというか、みんな辞めました。漫画を描くことも、働いて対価を得る延長線みたいな感じでした。
同人誌も入稿をギリギリまで粘って印刷所で描いていたら、ご飯とか出してもらえるようになっちゃって(笑)、そのまま居着いて手伝いを始めてしまい、写植や製版について知るわけで。そうすると、こんなこともできる、あんなこともできると思いつき……と知識を増やしていきました。そのなかで「やりたいことをやって稼ぐ」ことを学び、今につながっているように思います……という話を今、通信制の「ZEN大学」でゲスト講師として話しているんですが。 

ーーお金の話は大切です。常々、美術大学をはじめクリエイター育成の学校で自身の創作活動がどう経済や日々の生活と関わっているかを教えてほしいと思うので。

高河:そういったことを教えてくれるところは少ないですもんね。でも「自分をどう養っていくか?」は創作を続けるためには大きな要素です。
今はSNSといった発信の場があって、自分の価値を自分で決めることができる時代でもあるので、わたし自身もいくつか使っています。漫画を描くこととは別に、自分がなにを発信できて、どこに読者がいて、なにを楽しみにしていてくれるのか? は、いつも考えています。きっと、そういうことが好きなんですね。

 

誰かに見つけてもらって
応えてきたから今が在ります

 

ーーさまざまな創作活動で注目を集めていました。同人誌を経て商業誌デビュー、TM NETWORKコンセプトアルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』のキャラクターデザインを手がけ、楽曲の映像にアニメを使う試みの先駆者でした。

高河:人に恵まれていた、と思います。ずっとわたしは「見つけてもらった」という感じで、好き勝手に漫画を描いていただけなんです。
『CAROL 〜』も、TM NETWORKの小室哲哉さんが、やりたいことを相談した先で、わたしの名前を挙げてくださった方がいらしたということで、お話をいただきました。 

ーーただ、そこに応えていくからこそ、次へと続いていったのではないかと。 

高河:応えられていればいいんだけど。精いっぱいやっていますが。でも、描き続ける場所がずっとあったから、目に付いたんじゃないかな、と思っているんです。 

ーー目に付く場所にいることが大切です。デジタル化も比較的早かったように感じます。 

高河:パソコンを使い始めたのは1990年代からです。デジタルを使う作家が少なかったし編集部で対応ができていなかった時代だったから、最初の頃は担当編集さんたちにものすごくいやがられましたね(笑)。
でも同人活動の友人たちが道具としてのパソコンを使いこなして、すばらしいCGを発表していて「すげえな、これ、機械で描くの?」と驚いて「わたしも描く!」と決めて。誰かに教わろうとしたときに、習うならNo.1の方にお願いしたいな、と思って。ビジュアルノベルの先駆けであるLeaf社の『ToHeart2』を手がけられた、みつみ美里さんと甘露樹さんを仕事場にお招きして、うちのパソコンで習いました。 

ーー発想が豪快なうえに即断速攻すぎます! 

高河:だって、決めたらやるだけじゃないですか(笑)。まあ、この仕事は横のつながりが大きいので、たいていのことは間に友人をひとりふたりはさんだら、どこかしらにつながるものなので、それ以来、おふたりはずっとわたしのお師匠様です。
漫画家だってカラーは上手い方がいいと、仲間内では話しているのであがいていくしかないですね。

ーー漫画執筆以外にアニメ作品のキャラクターデザインや原作と活動の場を広げています。 

高河:おもしろそうで、楽しそうなことはすぐにでもやりたいから。すべては漫画の糧にもなると信じております……。キャラクターデザインのお話も、ひとつ、お受けしたら、そこから広がっていったという感じです。
『機動戦士ガンダム00』(2007年放送)のキャラクターデザインのお話をいただいた御縁で、同じく水島精二監督のオリジナルテレビアニメ『UN-GO』(2011年放送)にも参加させていただきました。友人のフィギュアのキャラクターデザインをやっていたらバンダイさんから『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』ライバル組織・ブライダンの幹部フィギュア(2025年発売)用イラストのお話をいただいて。声優の宮村優子さんのバーチャルアバター(2025年発表)を描きましたが、ここ数年VTuberさんやライバーさんからのご依頼がありましてその縁かと。ひとつの仕事が次の仕事の種になっているというのは、ある話ですよね。 

ーー『UN-GO』は坂口安吾の小説を原案とした近未来の探偵譚でそこから派生した劇場版のコミカライズ『UN-GO~因果論』(2012年)ではネームを、10年黒組全員が暗殺者という少女たちの青春譚『悪魔のリドル』(2012年〜2016年)では原作を担当しています。

高河『UN-GO~因果論』は脚本の會川昇さんがシナリオを書いてくださって、それをわたしが絵コンテにして、一緒にキャラクターデザインを手がけたpakoさんが漫画にするという三人体制で描いていました。『悪魔のリドル』はわたしがストーリーと絵コンテまで担当して、南方純さんが作画してくれました。
漫画に関わる一部の分業にも、最近は興味があるから。 

ーーご自身の行動原理が一貫しています。

高河:それはそう(笑)。そもそもがあまり興味のない仕事を根性だけでやり遂げる、ということが難しくて。まあ、みんなそうか。
反面「好きなことしかやりたくない」でも続かないと思うんです。それだと好きがなくなったときに描けなくなっちゃうし。心惹かれることには正直でいたくて、興味があれば大変でもやってみたい。やってるうちに好きになっちゃうことはたくさんあって。その結果、思わぬところへ広がっていくことは世の中、意外とありますから。 

ーー最後に、今回、初期の原画も展示されるということで、代表作とも言える『アーシアン』、近未来の異世界で続く源平合戦を描いた『源氏』についてお聞きします。続きを待っておられる方も多いのではないかと。

高河:そう言っていただくことはありがたいことです。ただ『アーシアン』は、描けるところまで描いた、という思いがあります。『源氏』は当時、執筆環境を整えることができなかったということが大きくて、一度、止めざるを得なかったんです。
その後も漫画を描き続けていますが、絵柄も変わって、時代も変わった今、再開しても違和感があるのではないか、と考えています。ゆえに描くとは今は言えないかもしれない。というより、描けるのかどうかわからないです。 

ーー正直です! 

高河:気持を出すしかできないですので。ただ描き手としての発言には責任があると思うので、なかなか言い切りは難しいです。いずれにせよ、わたしは描くときも描けないときも、漫画家です。
今回は過去の原画の展示に、ぎゃー! という気持ちもありましたけど、同人誌の展示や図録も作っていただいたので、自分でもいろいろと振り返るいい機会になり感謝しております。わたしの軌跡を観てやってください。 

 

2026年1月都内にて。
取材・文/おーちようこ

高河ゆん 40th Anniversary Exhibition 

公式サイト https://kougayun40th.com/
公式X https://x.com/kougayun_40th 

開催場所 マルイシティ横浜 7Fイベントスペース
開催期間 2026/1/31(土)~2026/2/15(日)
開催時間 10:30~20:00
※各日初回は10:40からの入場となります。
※最終入場は閉場の30分前まで
※最終日2/15(日)は17:00閉場(16:30最終入場)
※状況により営業時間は変更になる場合がございます。
※入場は入れ替え制ではございません。
※運営状況については即時イベント公式HP及び公式Xでご案内いたします。 

©高河ゆん ©高河ゆん/一迅社

 

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