「大衆演劇は絶対的な、私の軸。その上で総ての芸事を極めたい」 劇団美松 松川小祐司座長が志す、高みとは──

 演出でプロジェクションマッピングを導入、オリジナルの脚本も書き下ろし、大衆演劇お馴染みの古典はもちろん、美しい女形に鯔背(いなせ)な立役から骨太、あるいは愉快な現代劇にも果敢に挑戦。そのままの物語を上演するのではなく、時代や設定を変えての脚本、演出の独特な世界観がクセになる……そう語るファンも多い。アニメやライトノベルをこよなく愛し、それらのテイストを作品にも取り込んでいる。そんな、ちょっと変わり者(?)な座長の素顔は照れ屋で真摯な好青年だった。

「冗談でもなんでもなく、子役の頃は関東イチの下手くそと言われてました」

 穏やかな笑顔で、そう語る。けれど、それは謙遜ではなく事実だったと振り返る。そんな過去が在るからこそ、今がある。だからこそ人一倍努力する──興味がある森羅万象を自分なりに極めることで、高みを目指すと誓う。それは、高みを知っている者だからこそ言える願い、だ。

 舞台レポと真摯な姿勢に込められたインタビューをここに、お届け。

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 この日、上演されたのは激変する時代、貧しさゆえに罪を犯してしまった人の哀しみ、生きる姿を描いた名作を劇団美松・松川小祐司座長が独自の解釈で紐解いた現代劇。人情劇や時代劇の出で立ちとは打って変わって、メイクや衣裳もがらりと変えての挑戦だ。

 普段は舞踊ショー、お芝居、ラストショーという三部構成で送られる公演だが、この柏みのりの湯では定期的にお芝居メインの日が設けられ、それを心待ちにしている観客も多い。舞台は全13場。6場で休憩が入り、2時間の熱演が届けられた。

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 ヒロインを演じるのはもちろん、小祐司座長。被害者でもあり、けれど見方を変えれば加害者かもしれない──哀しくも愛おしい存在だ。物語はたった一通の手紙で急変。その手紙をしたためる所作が美しい。密やかに惚れた男を想う姿は妖艶で、けれど無邪気に喜ぶ姿はまるで幼い少女のよう。やがて、愛する男にひと目、会いたい。その思いに突き動かされ、進む道の果ては……?

 舞台美術、照明、音楽、すべてを考える小祐司座長は、もちろん演出も手がけて独自の物語を描く。普段は役者が華麗に舞う舞台が、次々と異なる空間へと変わり、生きる者たちが慟哭する。そこには劇団美松ならではの世界があった。

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 お芝居でしんみりした空気を堪能したあとは、一転、からりと艶やかに晴れやかに舞踊ショーへ。華やかに、軽やかに、ときにコミカル、そして艶やかな空間が届けられた。ド派手な創作舞踊では拍手喝采で盛り上がる。最後は舞台と同名の曲で、小祐司座長による花の舞踊絵巻が披露され、心躍る時間は幕を閉じた。

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終演後、松川小祐司座長にお話を伺いました。

型を知ることで型破りを創れる
学びと創造がそのまま生活です

──十代当時、いろいろな劇団に修行に行かれていたそうです。

 はい。毎月、異なる劇団さんに伺って鍛えていただいておりました。ただ、幼い頃は舞台がだいっきらいでした。実は子役の頃は関東イチの下手くそと言われてました。これは笑い話でも冗談でもなく、本当にそう言われていたんです。
 下手だから叱られるし、叱られるからまたイヤになる……この繰り返しでした。でも10歳くらいのときに大大大先輩、父どころか祖父の代のような方に芝居を付けていただき「小祐司がいちばん良かった」と言ってもらえて、そのとき初めて……本当にちょっとだけですが「楽しい」と思えた瞬間があって……それからですね。ただ、私は本当に自分が開花できたんじゃないかな……と思えたのはすごく遅くて、26歳のときなんです。

──現在、29歳でいらっしゃるので、三年前です。なにかキッカケがあったのでしょうか?

 26歳の誕生日のときに「集大成としてとことんできることを全部やろう」と決めて。三日間公演で新作やラストショー、演出構成をひとりで手掛けて大成功を収めることができたんです。そこで初めてお客様との一体感、やりきれたという充実感を体得したという手応えがあって。
 それまではいろんな芝居をやっていましたが、目が出ないというか、どうにも自分で納得がいかなくて。でも、それまで弟の誕生日公演をすべて構成演出していて、自分の誕生日公演に時間を割く、といったことをしてこなかったんですよね。でも、自分のために今できることを詰め込もうと決めて。グランドミュージカル『エリザベート』、『モーツアルト』、歌舞伎舞踊の『保名(やすな)』に連獅子、滝の白糸、剣劇、眠狂四郎に和太鼓まで、ほんとうに全部、全部、やりまして。そこで初めてお客様の空気を掴むことができたというか、こういうことを届けたい、届けられた……という実感に至りました。

──その、届けられない……というのは?

 それまでは、自分では全部、届けているつもりなのに、全然、届いてないというか、演技力が足りない、お客様を引き寄せることができない、オーラがない、格好がつかない……というのを十代のときから感じていて「届いてない」という感覚がずっとあり。

──ですが、それでも続けてこられたのは強い思いがあったのではないかと。

 実は辞めたいと思ったことはあります。ただ、私自身の意地もあり、なにより芸事が大好きなので続けていきたいという気持ちが強くありました。やっぱり先輩方からの、看板を大切にしなさい、名前を大切にしなさい、といった教えもあって。ただ、そういった自覚が生まれるまでには本当に時間がかかりました。

──座長になる、という重さでしょうか。

 はい。でも、まあ、そういう家に生まれたので。

──大衆演劇の方々、みなさんがおっしゃるのですが座長の家に生まれたから、という理由でこの世界に入ることを選ぶのはとんでもないことかと!

 なんでしょうね……でも、当然のように思っていました。劇団の家に生まれて座長となったからには、劇団の名はもちろんのこと座員みんなの生活を守らなければならないし、その責任はひしひしと感じておりますし、そこに全力で応えてくれる座員にも本当に感謝しています。

──今日のお芝居を拝見し、脚本、演出、照明、音響、出演、さらには主演も務め、すべてをで手掛けていることに驚きます。

 そうですね(笑)。全部、やります。ただ、私の場合はそれが好きなんですよ。創作することも、それらの技術を得ることも、そうして届けた先でお客様からのレスポンスをいただくことも、すべてが楽しい!

──さらに三味線を習われたり、舞踊ショーにプロジェクションマッピングを取り入れたりととにかくいろいろな挑戦をされていて、日々の生活のなかでどこにそんな時間が? と。

 ぶっちゃけ時間はガチありません(笑)。24時間、仕事のことだけ考えています。考えすぎて私生活がなさすぎることで叱られたりもしますが……なにを見ても考えちゃうんですよね。
 たとえばドラマを見ていても、どういう伏線が貼られて、どういう形で回収されるか、そのシーンをどう見せているか、どんな言い回しをするのか、といった視点で見てしまう。

──創作が生活のようです。

 モノを創ることはインプットし続けることでもあるので、そこはもう一緒ですね。たまには仕事から離れろ、と周りに叱られますが無理なんです……(笑)。

──そうした日々で学ぶからこそ、いろいろな作品を大衆演劇へとアレンジができるのではないかと。

 それはいちばん大切にしているところです。大衆演劇のほかに歌舞伎、新派とあって、それらを知らずに大衆演劇風、にアレンジするのではなく、基礎を知った上で織り込みたいんです。だって、型があるからこそ型破りができるわけで。
 歌舞伎は歌舞伎の、新派は新派の、もっと言えば剣劇は剣劇の、現代劇は現代劇の演り方があって、それらを体得してやりたいんです。

──それらを常に学んでいる、ということでしょうか?

 はい。ひとつの演目をやるとしても新派でも歌舞伎でも台詞回しを映像で見て、自分の中に落とし込む……それをしないと、底が浅くなりそうで。そういうものを届けることを良しとしないというか。

──その実りである、今日の芝居について伺います。

 同名の曲を舞踊ショーでも踊っていたんですが、もともと原作が好きで、いつか芝居でもやりたいと思っていたんです。でも、それならば映画だけを見るのではなく原作小説も読んで、物語の流れやトリック、この時点でどの人物がなにを知っていて、どういう発言をするかをわかったうえで、オリジナルの脚本として劇団に落とし込みました。
 いちばん気をつけたのは見え方です。たとえば、ある人物は巻き込まれて罪を犯してしまう運命を辿るんです。でも芝居にするなら勧善懲悪にしたほうが見ている方もスッキリすると思って小説を読んだら、そこにヒントがあったので、ああ、台本が書ける、と思いました。

──作中で「人を殺すこと(罪を犯すこと)が自分の何かを守ることにはならない」といった台詞に、ぐっ、と来てしまい……。

 それは、実は「ひぐらしのなく頃に」にヒントをいただいております。どうしても好きな作品のテイストを盛り込みたくなっちゃうんですよね。これは書いているうちに、登場人物の心情が、リンクするな、じゃあ、織り込んでみよう、となって、それが自分なりの色になると思うんです。
 実はこの演目に対して「裏」と銘打ち、犯人とされる人物が「なぜ、そうなってしまったのか?」を描こうと思っていて。それは、オタク的に例えるなら『Fate/stay night』(フェイト・ステイナイト)に対する『Fate/Zero』(フェイト ゼロ)的な位置づけなんです。辿り着く先がわかっているだけに、どう苦労を積んで幸せをつかむか、という姿を描くことで、むしろ彼は被害者だったのでは? ……という姿を描こうと思っています。

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──そういった視点はどこで学ぶのでしょうか?

 ライトノベルやアニメ、あとはミステリですね。ほかにもいろいろなものから刺激をいただいています。もともとアニメもマンガも好きで、子ども向け作品はよく見ていたんですが、あるとき夜にテレビを付けていて、深夜アニメの存在を知ってしまい……そこから一気呵成にハマっていき、ライトノベルの存在を知り……竜騎士07さん、奈須きのこさん、虚淵玄さんという方々を知ってしまいました(笑)。

──なるほど! さらに普段、女形や立役で美しい姿を披露されている方々が、素顔に近いメイクで現代劇をされていることに感じ入りました。

 うちは、というか私が新派のお芝居が好きなんですね。だから現代劇とはまたちょっとちがうんですが、そういったことにすぐに対応できるのがうちの方々の強みであり、大げさでもなんでもなく自慢でもなく、みなさん、とても上手いんです。そこにはものすごく感謝しています。
 本当に全部任せることができるんです。ずっと支えてくれる。(副座長の大和)歩夢さんは十年以上の付き合いですし、(南)雄哉はポーンと投げたら即座に答えてくれますし。(藤川)雷矢は言うまでもなく120点満点の返しをしてくれて、弟の(藤川)真矢に雄哉の甥っ子の華ちゃん(市川華丸)もすごくがんばってくれています。

──そういった後進を育てる立場にもあります。

 私的には教えるとか、まだまだそういう立場ではないので同じ立ち位置で、こうしたほうがいいんじゃないかな、と一緒に作り上げることを考えています。教えると言うよりは、こうしたほうがいいよね、と話す。ワンプレイヤーな座長ではないので、みんなに支えられて、一緒の目線で作っていきたいので、

──芸事は目で盗む、と言います。

 ……それは絶対にしないです。私は師匠なしですが、確かに周りを見て盗めということは言われますし、そのハングリーさはいいと思いますし、そういった強さを求める人もいると思います。ただ、今の時代には合わないと思うので、やっぱり私はていねいに教えたいですし、私自身がそうしてほしいと思っているので、そこは考えます。
 だって折れちゃいます。それに本当に見て盗めたら、苦労はしないわけで。きめ細やかに教えて、努力して覚えて、どういう方向に進むのか? ということだと思うので。それぞれの持ち味がありますし、そこから先は本人の技量なので、そこまではていねいに育てたい、と思うんです。

役者はひとりではなにもできない
だからこそ総てを極めたい

──オリジナルの美しい背景幕に驚きました。

 枕草子にあわせた詞(ことば)を載せて作ってしまいました……春夏秋冬、作る予定ですが、完全に趣味です(笑)。実は「春はあげぽよ」から思いつきました(笑)。

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──(笑)。そういった端々にこだわりが感じられ、さらに新作もいろいろ書かれています。

 毎回、コンセプトを決めて書きます。これは歌舞伎、新派、現代劇風とか最初に決めて、音楽や照明もあわせています。さらにその演目を何年もいろいろな場所でやっていくことで発見があって、そこを変えていくことでまた深みが増す。やるたびに、こうしよう、ああしようと思いつくし、だからどんどん変わっていくし、そこでまた新しい試みをやりたくなる。心がけていることのひとつは奇抜さと王道さの配分です。奇抜さを重視してしまうと表現したいことが伝わらず前衛芸術の様になってしまいますが、新しいことを織り込みたいとは思っていて。
 ただ、来年、30歳になるんですが、まだまだ全然、足りないです。目指しているところ、求めているレベルには全然、届いていないです。

──「届いていない」とわかるためには、届くべき高さがわかっていないと言えないかと。

 それは別の世界の方々を見て、です。私はなにもかも全部、できるようになりたいんです。舞踊ならプロの舞踊家さんのように踊れるようになりたいですし、三味線ならプロの演奏家さんのように奏でたい……それは、完璧主義とはちょっとちがって、負けん気ですね。やるからには極めたい、突き詰めたい、と思っちゃうんです。なのでモノを創ることは大好きです。天職だと思っています。実は……大衆演劇は自分たちですべてやれるけれど、だからこそ中途半端だな……と思うんです。
 たとえば舞台俳優さんのように演技ができるかといったらできないんです。舞踊のプロのように舞えるかといったら舞えない。もちろん、大衆演劇の道は私の真ん中にあって、それは外すものではありません。ただ、そのなかでどの芸事も極めたいと思っているんです。正直に言ってしまうと本当に大衆演劇の世界は狭いので、私ができることはすべてやりたい。

──それが大衆演劇の世界自体を高めて、広げていくことになるのではないかと感じます。最後に今後の野望を伺います。

 目標が長期化しすぎているんですが、三味線の腕をプロ級にするとかでしょうか。直近のことは、もう、やること、としてとらえるので。誕生日公演には泉鏡花の「日本橋」をやりたくて脚本は書きました。30歳になるので、集大成的な積み重ねてきたものを見せたいですね。
 これは胸にずっとあることなんですが、私が三味線を習う前に、もともと好きだったんですが、最初に習ったときに全然、目が出なくて。1〜2年たっても弾けなくて。で、あるとき、三味線酒場、というところに行ったんです。そこは三味線奏者の方が働きながら修行のために演奏していて、吉田兄弟さんもここから出られたということで。ここは歌付きもやっていて、お客さんのリクエストにあわせて弾いてくれるんです。だから「なにかやりましょう」となって。「田原坂」をお願いしたときに……あれっ、でも、今、私は化粧もしてないし衣装もない、日舞は一応、おさめてはいるけれど、他の舞踊はできない。なんか、役者って、一人だけではなにもできないんだな……と気付いてしまって。衣装や化粧、音に明かり、なにより舞台、という場所があって、初めて役者と言えるんだ……と。それは大きな気付きでした。

──謙虚、かつ真摯です。

 だから一芸を持ちたいと思ったんです。一芸をお持ちの方は、なにもないところから人様にお見せする事ができるものを生み出せる。芸を収めるというのは、そういうことなんだ、と、ものすごくハッとさせられて。それが3〜4年前のことで、そこからですね、芸を身につける、ということをより真剣に考えるようになって、三味線に傾倒していくようになりました。その思いのまま、今もいろんなことに挑戦しています。
 不器用な歩みだと自分でも思います……ですが、これが私なので、これからも見守っていただけたらうれしいです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2021年9月収録  撮影・文/おーちようこ 提供/篠原演劇企画

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松川小祐司・まつかわこゆうじ
1992年1月19日生まれ。O型。2014年に座長襲名。坂東流名取、坂東蔦之助としても知られる。アニメやライトノベルをこよなく愛し、津軽三味に邁進する29歳。
Twitter @matukawa_ani

劇団美松
人気を誇った「演美座」を前身とし、「劇団松」の立ち上げを経て、2014年に松川小祐司が座長を襲名、劇団名も「新喜楽座」に改め、2017年6月には「劇団美松」に改名。

10月は 金沢おぐら座 にて公演中。
スケジュールなどは劇場にお問い合わせください。

 

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