改竄・熱海殺人事件 ザ・ロンゲストスプリング レビュー/賀屋聡子

 最善席が本日、お届けするのは、大阪大千秋楽を迎える予定だった『改竄・熱海殺人事件 ザ・ロンゲストスプリング』渾身のレビュー。『改竄・熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン』のレビューもともにどうぞ。

この感情は何なのか――役者と観客の共犯関係が創るライブエンタメ

 

文/賀屋聡子 写真/オフィシャル

20200405_saizenseki

 好きな歌の一節にこんな意味の歌詞がある。『愛と勇気は言葉。だが、信じられれば力』。信じられれば力――これってお芝居を観るのに通じるものがあると思っていたのだが、改めて実感する観劇体験に恵まれた。その作品こそ『改竄・熱海殺人事件 ザ・ロンゲストスプリング』だ。
 実は私は、2020年の今回の公演が伊國屋ホール初体験にして、『熱海殺人事件』初体験。もちろん、つかこうへい氏の有名な作品であること、いくつかのバージョンが存在することは知識として知っていたが、内容は“熱海で起きた殺人事件をめぐる、取り調べ室での出来事らしい”くらいの理解度で、ドキドキしながら観劇当日を迎えた。
 まず紀伊國屋ホールの雰囲気が好みで、きゅん、ときてしまった。年月を経て、独特のどっしりした佇まいのある待合ホール。舞台から距離感が違い客席。そして客席扉の内側にとりつけられた暗幕のようなカーテン! 全てがかみあってレトロだけれど、どことなく愛嬌がある感じがする。418席という客席数も、役者の熱量を受け取りやすいように思えた。そんなきゅんとするホールで、『ザ・ロンゲストスプリング』の幕が上がったのである。
「なんだろう、これは!」--率直な初手の感想は、これにつきる。

 あらすじを纏めるとすれば、以下のようになる……と思う。熱海の海岸で起きた殺人事件。その捜査の指揮をとるのは、警視庁にその人ありと謳われる木村伝兵衛部長刑事(荒井敦史)。捜査のために富山県警から呼び出された田舎刑事の熊田留吉(佐伯大地)と、木村の部下にして“木村の女”である水野朋子婦人警官(馬場ふみか)がそろい、容疑者・大山金太郎(玉城裕規)が呼びこまれ、取り調べが始まる――。
 しかし、このあらすじではお芝居の本質が全く伝えられない。なぜなら、大筋はまぎれもなく殺人事件の捜査であるのに、重要なのは殺人事件の解決ではないのだ! 登場人物たちはこの殺人事件を通して、それぞれ己の人生の課題を解決しようと試みる。この事件を最後に警視庁を去り結婚を控えた水野婦人警官と木村は、10年にわたる男女関係の決着を、熊田刑事は出世のための政略結婚に邪魔な恋人のホステスとの関係清算を、事件の捜査を通じて行おうとするのだ。序盤に荒井演じる木村部長刑事が、すごい目力でもって「今回のテーマは愛です!」と宣言し、それぞれの課題がクリアされなければ「今回の殺人事件の捜査は失敗したと言わざるを得ない」と断言する――。

 

20200405_saizenseki

20200405_saizenseki

20200405_saizenseki

20200405_saizenseki

 

 そもそも、登場人物それぞれのキャラが特濃である。人を小ばかにしたように傲慢にふるまい、それが似合ってしまう荒井演じる木村部長刑事。その部長刑事にふりまわされ、時には反撃しながらも、馬鹿でかわいく、芯のある女であり続ける馬場演じる水野婦人警官。過酷な生い立ちから這い上がるため、あらゆる手段を使うクセに根は純朴な佐伯演じる熊田警官。被害者の重大な秘密を守るため、サングラス姿では強面ぶるが、素顔になると若者らしい優しさや弱さを見せる玉城演じる容疑者・大山。そんな面子が、白鳥の湖など名曲のBGMにのせ、事件や己の人生について主張し、反発しながら、殺人事件の概要がひも解いていく。事件をひも解くことは、すなわち4人の人生の節目を追体験し、喜怒哀楽を共有することでもあるのだが……。
 序盤は少し戸惑いが強かった。膨大な台詞量、シリアスかと思えばコメディタッチになる、くるくる変わる演出、そして時には時間も空間も飛び越え折り重なっていく物語の構造。これは笑えばいいのか、泣けばいいのか、それとも怒れば……⁉ でも、すぐにそんなことは気にならなくなった。むしろ、木村が、水野が、熊田が、玉城が、どんな仕草や表情でどんな台詞をいうのか、見逃すのがもったいなくて、夢中で舞台を凝視した。時代背景も、易しくはない。終戦後、平成にはあまり近くなさそうな昭和年代。我々にとっては、知らないワケではないが実感をともなうのが難しい単語や設定も飛び出してくる。しかし、舞台上の4人は人間の生身の感情をのせることで、昭和の激情を令和の我々に確かに共感させてくれるのである。そして、この共感こそが、『熱海殺人事件』というお芝居の最大のポイントなのではないだろうか。この演目は圧倒的に体験型なのだ。

20200405_ saizenseki

20200405_saizenseki

20200405_saizenseki

 

 作中、熊田刑事が容疑者・大山に「刑事と容疑者の友好関係にひびがはいっちゃいかん」と告げるシーンがある。そう、両者に友好関係がないと刑事は容疑者を犯人にできない。『熱海殺人事件』も同じで、役者と観客が劇場で発信者と受信者として友好関係をきづき、共犯者として劇場で完成させる極めてライブなお芝居なのではないだろうか。なぜなら、木村が水野に抱く複雑な気持ちを、「私たちもう10年なんです!と」叫ぶ水野の切なさを、親や恋人を犠牲にしても出世街道に乗ろうとする熊田の血を吐くような想いを、大山がなぜ人を殺してしまったのかを――言葉を尽くしても、伝えきれないと思うのだ。この物語が、なぜこのような構造になっていて、そこに貴い人間の感情があると、役者の熱を感じている時は、納得し体感できた気がする。しかし言葉に纏めると、どれもしっくりこない。確かに冒頭で木村が宣言した通り、テーマは愛だ。愛ではあるが、愛だけでもなく、それが何なのかを言葉にしようとしても、滑り落ちてしまう。この物語を余すところなく感じるためには(あえて断言する!)、劇場に足を運び、木村部長刑事たちが取り調べしている空間を共有するしかない。そこに漂う欲望だったり、悲哀だったり、祈りだったり、幸せだったりを観客自身が各々のやり方で持ち帰るしかない――そんな風に思ってしまうのだ。観劇後の感想も受け手の気持ち次第で、全然違ったものになる。だから、あの名状しがたい感情が何か知るために、何度も劇場に足を運んでしまうのではないだろうか。実際に、ラストシーンの紫煙をくゆらせニヒルに笑う木村を見つめながら、「すごかった! もう一度見たい!」と思ってしまったのだから。
 こうして、春の嵐のような怒涛の初『熱海殺人事件』体験は終了した。『ザ・ロンゲストスプリング』を体感して、俄然ほかのバージョンも観てみたくなってしまった。この演目は、紀伊國屋ホールの春の風物詩だという。きっと来年も『熱海殺人事件』の共犯者になりにくる自分を確信している。春の楽しみが、またひとつ増えてしまった。

 

20200405_saizenseki

20200405_saizenseki

 

改竄・熱海殺人事件 ザ・ロンゲストスプリング
作:つかこうへい
演出:中屋敷法仁
出演:荒井敦史 馬場ふみか 佐伯大地 玉城裕規
公式HP:https://www.atami2020.jp/

PAGE TOP