「新・幕末純情伝」レビュー到着! 病が、愛が伝播する。紅玉いづき/真ん中に立つ、ということ。おーちようこ

 先日の、つかこうへい復活祭2023「新・幕末純情伝」会見レポに続き、レビューをお届けします。 

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病が、愛が伝播する。

 

紅玉いづき

「史上最高に美しい沖田総司を見て下さい」

 演出の岡村さんが挨拶でそう宣言したように、2023年、新・幕末純情伝は、主演である菅井友香さんが、アイドルの微笑みで舞台のセンターを歩いてくるところからはじまる。
 その、姿勢が美しい、蹴りが足先まで美しい、言葉の性根が美しい。
 男装をした沖田総司。その姿を見ていれば、すぐにわかる。
 そこにあるのは、死に向かう美しさだと。

『女があんなに美しくなったら、先は長くない』

 土方がそう評したように、美しいものははやく死ぬ。生に執着するものは、どこまでも生き汚い。
 舞台上で必死に長台詞にくらいつく、若者たちの目が充血し、きらめく。
 いくつもの「幕末」の舞台を踏んできた、老いた者たちの目が燻して濁る。

 けれどどちらも、美しさだと思う。

 愛こそがテーマだというこの物語で、悲しいほどに愛は行き違っていた。
 男を愛せるか。女を愛せるか。国を愛せるのか。
 沖田総司は刀を持つ。最強の人斬りである彼女は、斬られることは怖くはない。彼女を苛むのは、ただひとつ──血を吐く肺の病だけだった。
 2016年につかこうへい七回忌特別公演で観劇した時は、印象深く感じることはなかった、この「病」が、令和の今、別の意味合いを感じさせるのはもう、仕方が無いことなのだろう。時をこえて、この、病の時代に。
 病気は、うつる。
 うつったものは絶望し、うつしたものは、罪悪感に身を裂かれる。
 けれど、この作品の中では、病は血よりも濃いつながりとして描かれる。そして同時に、心から愛したものだけが、その相手に病をうつすことができるのだ。
 だからこそ、赤子を拾った河原の者達は、赤子をその胸に抱き、病気をうつした。
 坂本龍馬はだからこそ、総司と手をつながずとも病がうつったし、「お前を愛していない」と叫んだ土方もまた、冒頭で血を吐いた。
 病に悲しみであり、苦しみであり、同時に……それこそが、愛の証明なのだ。
 今、まさに今、演ずるには、触れれば割れる薄氷のような作品だと思った。

 甘い少女の微笑みで現れた、菅井さんは舞台の上で紅一点、めくめくかわる。
 少年になり、男になり、時に迷子の犬のようになり、女郎か夜鷹かといわれ、女になり人斬りになり、姫君になり。
 そして最後に何になったのか──。
 その答えは是非、劇場で確かめて欲しい。

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真ん中に立つ、ということ。

 

おーちようこ

 たったひとり、かけがえのない女のためだけに、男たちは己のすべてをかける──つかこうへいの綴る物語はいつでもそうだ。

『寝取られ宗介』の座長が愛するがゆえに、あえて寝取らせる女房で看板女優のレイ子。『熱海殺人事件』で木村伝兵衛部長刑事に尽くす、水野朋子刑事と熱海の海岸で殺されなければならなかった、ハナ子。『飛龍伝』で全共闘40万人の委員長に祭り上げられ凛と立つ、神林美智子。そして、刀とともに河原に捨てられ、数奇な運命を辿る『幕末純情伝』の沖田総司。

 常に真ん中に立つ女が美しい。その美しさ、可憐さ、健気さ、ずるさ、愚かさ、儚さ、そして強さ、に男たちは翻弄され、命を、人生を、すべてをかける、かけてしまう。つかこうへい氏亡き後、その作品を守り続けるひとりである岡村俊一プロデューサーは、常に物語の渦中となる役者をみごとにキャスティングし続けている……と毎年、感じ入る。その本心を聞いたことはないけれど、常に説得力がある座組に感嘆する。

 今年、つかこうへい復活祭2023「新・幕末純情伝」で沖田総司として真ん中に立ったのは菅井友香。3年前『飛龍伝2020』のヒロイン神林美智子に続き、幕末の時代を揺れ動かす存在として河原者に拾われ、政(まつりごと)の切り札となり、新選組の人斬りとなり、病はうつらないと嘘を吐く土方歳三に抱かれ、女にも等しく権利の1票をと願う坂本龍馬の想い人となり、時代に飲み込まれながらもあらがい、望まぬまま時代を変える鍵となってしまう。

 作中で歌を披露する場面がある。そこで「歌の経験は?」と聞かれ、無邪気な笑顔で「はい。東京ドームで」と答える。最高!

 真ん中に立つ、そのことの重みを誰よりも知っているであろうアイドルが、役者として全身全霊で物語に挑む。まとった輝きを放ちながら。だからこそ、よりその存在への説得力が増す。ああ、この女のためならすべてを投げ出しても仕方ない、と観る者を暴力的に納得させる。だからこそ観客は物語の奔流に巻き込まれることを良しとする。あの女のためなら死ねる──そう思わせてくれるほどに彼女は眩しい。

 周りを固める俳優陣も百戦錬磨の猛者たちだ。ことに土方歳三を演じる高橋龍輝は、それこそミュージカル『テニスの王子さま』の主演・越前リョーマとして、ど真ん中できらきらと輝く当時から観続けている役者で(『いつも心に太陽を』再演を全力でお待ちしています!)、圧倒的な存在感と恐ろしいほどの台詞量のなか、揺らがず、軽やかに踊っている姿が頼もしい。ものすごく、正直に言ってしまえば、坂本龍馬で観たかったけれど。ただ、この座組であるならば、土方歳三なのはうなずける。

 その化け物じみた熱量に、本作が初つかこうへい作品参加という坂本龍馬役の松大航也も喰らいついていく。熱血体育教師かよ! と突っ込みたくなるような暑苦しいジャージ姿に真っ白な歯を見せながら、真っ直ぐで真っ直ぐすぎる愛を総司に注ぎ続ける。義兄を名乗る勝海舟役の吉田智則も総司への思いを抱え、懊悩し、奔走する。彼らを始めとする、男たちは真ん中に立つ存在に心奪われ、恋い焦がれ、振り回せされていく。菅井友香には、それに足りうる華がある。たまらん。

 そのなかで異彩を放っていたのは、岩倉具視を怪演した武田義晴だ。大政奉還を巡り、真っ赤な襦袢で勝海舟へと襲いかかるシーンは圧巻で、逆に沖田総司ごときに揺らがない、立ち向かう壁として立ちはだかる。物語後半に向かうにつれ、それぞれの思いがすれ違い、互いを互いの思いを削り合っていく姿が苦しい、けれど目が離せない。

 つかこうへいの舞台を観ると、いつも思う。真ん中に立つ、ということの重さを。その重さを知る者が、つかこうへい作品を通して新たな演劇の世界へと旅立っていく。もともと『熱海殺人事件』は、文学座の若手俳優のために書き下ろされた演目だという。そのことが示す意味をも毎年、春の紀伊國屋ホールで噛み締めるのだ。

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