橘小竜丸劇団鈴組 今年は創立記念にして鈴丸座長芸歴、25周年! 今を語る、親子対談をここにお届け。

今年、劇団創立25周年を迎える、橘小竜丸劇団鈴組がこの2月、立川けやき座で絶賛公演中。2月13日には「橘小竜丸劇団鈴組 25周年記念公演」を控えている。
劇団を旗揚げした、橘小竜丸代表太夫元と後を継いだ橘鈴丸座長の親子対談をここにお届け。
今回、初めて明かされる、父の想いも語られました。

写真:上から橘鈴丸/橘小竜丸/扇勝也・橘醍醐・橘佑季・橘一知花(以下敬称略)

今年は劇団創立25周年にして
鈴丸座長の芸歴25周年という記念の年!

──劇団創立、25周年、おめでとうございます。

橘小竜丸(以下、小竜丸):ありがとうございます。正式には今年の10月1日で、私の誕生日に旗揚げしました。なので今年は25周年記念の年であり、鈴丸の芸歴25周年でもあるので、一年通して、いろいろな公演を企画できたら、ということで、今月、この立川けやき座さんで第一弾をやらせていただくことになりました。

橘鈴丸(以下、鈴丸):今回のように関東で、劇団座長の方々をお迎えしての公演は初なので、座長の皆さまに失礼がないよう、観に来てくださるお客様ともども、楽しんでいただけるような公演にできたらと思っています。
演目は「鈴丸版・遠州森の石松」で、鈴組ならではの世界をお届けしようと、今、劇団員全力で準備しています。ラストショーもカッコよくて華やかなものにしたいな、と作っています。今月はほかにもたくさんゲストの方をお招きして、お祭り企画を予定しているので観に来てくださるとうれしいです。

──今月は特別出演として林京助さん、「下町かぶき座」から劇団三峰組の三峰達座長、舞鼓美さんも舞台に立たれています。

鈴丸:京助さんはもう! とにかく愉快で心強い兄さんで(笑)、今月も一緒にいろいろな企画を考えていて、活躍してもらいます。

小竜丸:三峰達座長と舞鼓美さんとも付き合いは長くて。とくに鼓美さんは関西で活動していた当時に高校生だったんだけど、うちの劇団を観に来てくれていて。それが大衆演劇の世界で役者になって、三峰達座長とご夫婦で一ヶ月、ゲストにきてくれる。そんな日が来るなんて感慨深いです。

公演詳細、予約はこちらから!
立川けやき座 公式サイトリンク

 

写真:林京助/「下町かぶき座」劇団三峰組 三峰達座長/舞鼓美

 

「大丈夫」と言い続けた親の心と
その言葉に支えられた子の想い

 

──劇団旗揚げのきっかけを伺います。

小竜丸:僕はもともと俳優養成所にいて芸能プロダクションに所属していたんです。ただ、30歳のときかな、伯父から「来年、劇団を旗揚げするから、一緒に旅周りするか」と誘われて準備していましたが、その矢先に急死してしまったんです。
当時は大衆演劇の経験がまったくなかったので、どうしたものかと迷っていたときに「南條隆劇団」(現「南條隆とスーパー兄弟」)の南條隆座長とご縁があり。ダンスの経験があったので「ちょっと出てみないか?」と誘っていただき出演するようになりました。そこで、あるとき、隆座長から「わしの友だちで紀伊国屋章太郎っていうのがいるんだけど、ちょっとそこの劇団に応援に行ってくれんかの」と言われて初めは一ヶ月の約束が、そのまま二ヶ月、三ヶ月と続いていって……。

──そのまま劇団に入ることに?

小竜丸:結果、そうなったんですが、ただ、やっぱり迷いました。もう子どもたち(姉の橘鈴丸、弟の橘龍丸)もいましたから。だから嫁に相談したんです。そうしたら「イチかバチかわからないけど、好きなことをやればいいんじゃない」と言ってくれて。だったら「この業界で食っていけるかどうか、わからないけど、やってみるか」と決めました。
ただ、やる以上はいずれは自分の劇団を持とうと誓って、いただいた「橘小竜丸」という名で10年間、勉強させてもらい1999年に自分の劇団を旗揚げしました。

──そこから25年、続いていることがすごいです。橘鈴丸座長がこの世界に入られたときのお話は、2019年の取材(記事リンク)で伺いました。座長になられた当時の苦労も明かしていただきましたが、2022年2月から劇団名が「橘小竜丸劇団 鈴組」となりました。

小竜丸:鈴丸が2016年に座長となってから、任せてもいいと思えて決めました。ただ、先代の「橘小竜丸」を知る方々が、その名は残したほうがいいと言ってくれて。旗揚げした名前でもあるので、そこに「鈴組」と付けました。

鈴丸:座長になって8年目ですが、劇団に自分の名前が入ることにはすごく責任を感じました。もともと前の取材でも話した通り、最初は弟の橘龍丸が座長を継いでいましたが声優を目指して劇団を離れてしまって。今は声優としても役者としてもがんばっています。

──その当時のことは劇団にゲスト出演された、2021年にご登場いただき(記事リンク)いろいろと語っていただきました。

小竜丸:今月、11日と18日の「劇団創立25周年記念祭」にも客演として出演するんですが「ゲスト」って言うと「ゲストちゃうわー! 姉ちゃん!!! ただいまー!」って帰ってきます(笑)。でも、今の座長は鈴丸で「鈴組」としてのカラーを作っているところです。ただ、二人を見ていると、僕もずっと芝居は好きだったので、蛙の子は蛙なのかな、と思ってます。

鈴丸:あー、でも自分的には弟のほうが器用で舞台人としての才能はあると思っていて。だから座長になってからもずっと不安ではありましたね。ただ、任せてもらったからにはできることを全力でやるしかないと思っていて。慣れないこともたくさんありましたが、ようやく自分らしさを出した舞台を創れるようになったかな、と。
本当に座長に成り立てのころと比べたら気持ち的にだいぶ落ち着きました。最初の2〜3年はものすごく悩んで悩んで悩みまくって落ち込んでばかりいたし、とにかくもがいていましたから。

 

──現在、小竜丸代表太夫元からご覧になって、鈴丸座長はいかがでしょうか。

小竜丸:すごくがんばっているし頼れる座長になってくれました。今だから正直に言ってしまうと「お前が座長をやらないんだったら、もう劇団を辞める」という覚悟だったから、ある意味、押し付けたみたいなところがあって。プレッシャーもあっただろうし、女性の座長もほとんどいない場所で戦わせる、ってことに対して劇団の責任者としてはがんばってくれよ、という気持ちがあったけど、親としては申し訳ないという想いもありました。
大変そうだな、苦労させてるな、でも、そうしたのは俺なんだな、と。ただ、今はもう、全然、大丈夫。戦っていける、負けてないよ、心配せんでいい、という想いはありますね。

──お話聞かれて、いかがでしょう。

鈴丸:やー……申し訳ないって思ってたんだ、なー、って(笑)。なんかね、すぐ自信をなくすんです。卑下しちゃうというか。なので、当時「申し訳ない」って言われたら余計につらくなっちゃったかもしれないから、今日、初めて聞けてよかったです。そうか、そういうふうに思っていてくれたんだなー、って。
ずっと「大丈夫、大丈夫、お前ならやれる」「お前、ホントにようやっとる」と言ってもらっていたから。それは励ましの言葉だったんだな、って。

小竜丸:落ち込んでるときほど、どこ吹く風で「うん、大丈夫、大丈夫」って言っておかないと。そうか、そうか、って受け止めると余計に落ち込んじゃうからね。ただ、最初の頃は「大丈夫」って言いながらも、あー……って思うことはありました。でも、今はもうね、全然、大丈夫、舞台上のことも、若い子のことも僕は口をださないし、安心して任せてます。

──鈴丸座長から小竜丸代表太夫元へ一言、お願いします。

鈴丸:この世界に入ったときに最初から自分が座長になるつもりだったら、それこそ十代のころからいろんな勉強をしていたと思うんです。でも、いずれ座長になる、とはまったく考えていないままやってきたので、なった当時は本当にわからないことがたくさんあって。
ただ、そういうときは支えてくれたし、大変ではあったけど、ありがたかったな、と。厳しいことを言う人ではあるんです。今も父というよりも、先生という感覚が大きいし。でも、その厳しい言葉があったから、ここまでやってこれたと思うので感謝しかありません。いや、なんか、これ、ちょっと照れますね! まあ、劇団員全員、がんばってくれていますし、これからも鈴組をよろしくお願いします。

──すてきなお話、ありがとうございました。

2024年2月1日 立川けやき座にて収録
撮影・取材・文/おーちようこ

公演情報はこちらから!
橘小竜丸劇団鈴組website @website01356041

写真:橘一知花・橘鈴丸・橘佑季・橘醍醐

写真:橘醍醐/扇勝也/後見・三河家扇弥

 

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